「攻め」とは無縁だった―西武ライオンズ広報の意識変革へ取り組んだこと

「NewsPicksに取材されたい」若手部員の成功体験

ある日、最年少の部員に声をかけ外へ連れて行きました。どうやら今から行くメディアにライオンズを取り上げてもらうことが一つの目標だったというのです。若い方に支持が高いNewsPicksでした。

事前に用意していた企画を担当が説明するのですが、緊張のせいか、いつも流暢に話せるのですが、この時はそうではありませんでした。しかし熱意も伝わり、取材いただく機会を獲得することができました。

実はこの企画、私には勝算がありました。なぜならWBCで右手小指を折りながら最後まで試合に出て大活躍した源田壮亮選手と、ビジネス界隈で話題の「パワーナップ」の組み合わせだったからです。

試合前、集中力を高める一環としてロッカールームで源田が仮眠をとっていたことを把握していました。それを「源田×仮眠×ビジネス」で取り上げてもらうことで、若いビジネスパーソンという今いない属性(潜在顧客層)へ情報を届けることができると踏んでいたからです。


写真 取材時に提供した、ロッカールームの仮眠スペースの写真。提供:西武ライオンズ


写真 取材時に提供した、ロッカールームの仮眠スペースの写真。提供:西武ライオンズ
取材時に提供した、ロッカールームの仮眠スペースの写真。提供:西武ライオンズ

別の担当者にも「こうすればきっと取材が獲得できるかもよ」とアドバイスし、このようなケースを積み重ね、少しずつ信頼を獲得していきました。この時、朝礼や定例ミーティングで常に伝えていたのは「後ろ向きに転ぶのはダメだけど、前向きはOK」です。

これは、チャレンジ案件や期日前にいろいろと挑戦してみて上手くいかないことは「よし」としますが、約束した期日までに担当した業務ができないのは、責任感に欠けるからです。

自分も昔はたくさんチャレンジし、その分多くの失敗もしました。若い時は「あかさかサン」ではなくジョークで「あさはかサン」なんて呼ばれていたエピソードも伝え、チャレンジしやすい環境もつくっていきました。

そして今やっている仕事は、何のためにやり、目的は何かを常に問い続けました。そうすることで、各種業務も見直しが図られ、それぞれ担当者の意識も変わっていきました。

 

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赤坂修平(西武ライオンズ 広報部長)
赤坂修平(西武ライオンズ 広報部長)

2000年コクド入社、2004年広報室へ配属、以降は西武グループ各社で広報と企画を相互に歩む。2006年プリンスホテル事業企画部広報担当、2009年に同部ゴルフ・スキー担当も兼務。2011年西武ホールディングス広報部、2018年に経営企画本部 経営戦略部。2019年に同本部 西武ラボ(新規事業創造)課長となり、2023年から西武ライオンズ 広報部長。

赤坂修平(西武ライオンズ 広報部長)

2000年コクド入社、2004年広報室へ配属、以降は西武グループ各社で広報と企画を相互に歩む。2006年プリンスホテル事業企画部広報担当、2009年に同部ゴルフ・スキー担当も兼務。2011年西武ホールディングス広報部、2018年に経営企画本部 経営戦略部。2019年に同本部 西武ラボ(新規事業創造)課長となり、2023年から西武ライオンズ 広報部長。

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