仕事に結論や終わりがない領域なので、無限に時間が伸びる。営業やメディアであっても、今まで世の中になかった価値やビジネスをつくろうとするならば、創造性が求められる。残業ができなくなっているせいで、相応に給与も減らさざるを得ず、仕事もフルスイングできなければ、収入も思ったより伸びない。これがひとつの退職理由になっているらしいのだ。
ぼくが働いていたのが、おそらく最後のユルい世代。「残業時間200時間ですが何か(※勤務時間ではなく残業時間)」と競っていたり、土曜の朝まで働いて、築地市場が空く朝5時半に小休止で、場外の寿司屋で日本酒と3,500円おまかせセットをかっこんでまた会社に戻るとか、喫煙しながら仕事をし続けていたら、灰皿に吸い殻が詰まりすぎて、ガトリング砲のような状態になっているとか、そういうのがギリギリ見逃されていた。
仕事が面白いから、熱狂する。
「ピタゴラスイッチ」の佐藤雅彦さんが電通在職だった時代。当時から伝説的な大ブームCMをいくつも作られていたが、ご本人の産みの苦しみも相当だったようで、プレゼン前の彼のデスクには大量のCMコンテ案が乱雑に置かれた状態になっており、その上に、
答えは絶対にある
という殴り書きがあったそうだ。
あんなすごい人でも熱狂して、残業して、ひたすら試行錯誤を繰り返していた時代があったのだ。
いま、それができなくなってきている。
しかし、実はいまの風潮は、大チャンスが目の前に転がっているとも言える。
これから紹介していく、迂闊鬼十則の6条に
ルールはハッキングしよう
というものがある。
社会全体がたくさん働くことを禁じ、根を詰めさせないようになっていることを逆手に取ると、ほかの人がワークライフバランスで休んでるときに、差をつけられるようなことができれば、以前よりはるかにカンタンに周りをブチ抜けるわけだ。
みな正直に
「会社が休めって言ってるんだから休むよね、残業できないよね」と、仕事量を減らす。
すると、給与総額も減るし、「自分の仕事をローンチした!」という自己肯定感も減っていく。
Z世代だって、「仕事一辺倒の人間」にはなりたくないものの、人生で何かを成し遂げたい、いい待遇や暮らしもしたい、自分の没頭できるものには打ち込みたいと思っているのだ。
そこに、外資やらコンサルやらが
「当社ならクリエイティブディレクターになれるよ〜」
「年収ぐっと上がるよ〜」
などと引き抜きアクションを起こしており、彼らの気持ちは揺さぶられる。
「ああっ、これなら、私の『ここではないどこか』になりうるかも…」
部長、折り入ってご相談があります。
わたし、転職します。
(※ご相談と言っておきながら、相談する気は一切ない)
これが、この業界の状況であるようだ。
ぼくは、転職に関しては否定しない。
が、この世間でも高年収と言われる広告代理店でこれなのだから、時代を象徴している。
もう、日本の給与モデルと副業禁止の正社員スタイルは、今の若者に合ってない。
老後2000万問題は有名だが、世代間格差も開くばかりで、みんなが年金をもらう頃、2050年には、1.4人で1人の老人を食わせなければならない。
というか、どうせこの国であるからして、年金制度もしれっと崩壊するだろう。
震災からコロナ禍、岸田政権までで「しれっと改悪」はもうみんな、何度も辛酸を舐めたはずだ。みんなに送られている「ねんきん定期便」のシミュレーションが、実際の将来の金額をまったく担保していないことに注目してほしい。
もうひとつ、優秀な若者は、アウトプットに飢えている。仕事の経験値が上がるのは、プロジェクトがローンチして、世に出て、その反響を目にしたときだ。たとえば広告で、斬新な切り口のキャンペーンを行うとき、ローンチ1日前までは、いくらシミュレーションしても、結局のところどれだけ世の中で話題になるかわからない。ところが公開した瞬間「あ、こういうふうになるのね」と、自分の血肉に経験値が行き渡る。
令和の宿命は、コンプラだらけで、ローンチの数が異様に少ないのだ。
広告業界ならば、年に3〜4キャンペーンくらいじゃないだろうか?
これは致命的に少ない、と言える。
広告なんて、定年後も死ぬ直前までできてしまう仕事なので、「すごいシニアのエース」がいつまでもリタイヤせず、ずっと大きな仕事を取って行ってしまい、おこぼれみたいな仕事が続く。人生100年時代。自分が65歳になったころ、85歳のレジェンドCDのおかげでまだいい仕事が回ってこない、なんてことも想像に難くない。
どうすれば、打席数が増えるのか?
年収を増やせるのか?