スタンフォード大に広報PRの専門学科を設立した第一人者、レックス・ハーロウ

現代まで続く「広報PRとは何か」の議論を投げかけた

当時の彼の最大の関心事は「広報PRとは何か」でした。彼はその定義とともに、広報PRをいかに実践するべきかを研究しました。

また、彼はパブリック・リレーションズを社会で認知された職業としての地位確立に努力すると共に、企業や個人に倫理規範を含む社会的責任を提唱し、社会学的および心理学的研究の利用を推進する活動に取り組みました。

ハーロウは、広報PRの理論を多くの実務家や研究者と共有するために、米国パブリック・リレーションズ評議会(ACPR、後に、米国パブリック・リレーションズ協会=PRSAと合併)を創設するとともに、1945年には専門誌『パブリック・リレーションズ・ジャーナル』を創刊します。

前述のとおり、「広報PRとは何か」は研究者のみならず実務家にとっても最大の課題であり、これは今も昔も変わらないと思います。

ハーロウが、1900年から1976年までに公開された広報PRの定義について調査したところ、実に472もの定義があったと後に述べています。広報PR業務の対象の広がりや多様化によって、「ひとこと」で定義することは難しく、そのため学会や業界団体がそれぞれ自身の定義を公開していました。

たとえばPRSAの最新の定義は、「パブリック・リレーションズとは、組織とその関係者との間に相互に有益な関係を築く、戦略的なコミュニケーションプロセス」です。

また日本広報学会は、2023年6月に広報の定義「組織や個人が、目的達成や課題解決のために、多様なステークホルダーとの双方向コミュニケーションによって、社会的に望ましい関係を構築・維持する経営機能である」と発表しました。

これを受けて、日本パブリックリレーションズ協会(PRSJ)は、「広報・パブリックリレーションズは、“関係性の構築・維持のマネジメント”である。企業・行政機関など、さまざまな社会的組織がステークホルダー(利害関係者)と双方向のコミュニケーションを行い、組織内に情報をフィードバックして自己修正を図りつつ、良い関係を構築し、継続していくマネジメント」だと定義しています。


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河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)
河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表、英パブリテック日本代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ120社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2400本を超えた(2023年10月31日現在: 2421本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。米IABC(International Association of Business Communications)会員。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表、英パブリテック日本代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ120社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2400本を超えた(2023年10月31日現在: 2421本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。米IABC(International Association of Business Communications)会員。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

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