――その後、偉大な師匠のもとを離れたのはなぜですか?
20代後半に差し掛かった頃、アートディレクターとしてひとり立ちしたいと考えるようになりました。当時私はサントリー「伊右衛門」をメインで担当していて、クライアントからも評価いただいていましたが、どこか「永井一史」というブランドに守られている気がして。このまま長く居続けると、自分の力を過信してしまいそうで…。それに、グラフィック以外の領域に挑戦してみたい気持ちもありました。
2011年に入社したのは、外資系広告会社、グレイワールドワイドです。同社では、アートディレクターとコピーライターがタッグを組んで、担当ブランドに関する企画から制作まで、一気通貫で担当します。コンセプトワークやCMのプランニング、戦略設計など初めてやることばかり。自分の力を試すにはうってつけでしたが、最初はすごく苦労しました。思考の巡らせ方がグラフィック制作とは全然違うんですよね。
転機は入社2年目、ケロッグの「プリングルズ」ブランドを担当したことでした。一流グローバル企業を相手に、企画を考え、合意形成をして、プロダクションに指示を出しながら、海外ロケに立ち会う。レベルが高い複雑な案件でしたが、上司は僕に委ねてくれました。それまではどこか他のメンバーに頼る気持ちがあったのが、ここでスイッチが入ったというか。仕事を自分ごと化できて、うまくいくようになりました。28歳になった頃でした。
カオナビ
コミュニケーションデザイン室Head of Creative
長谷川亮 氏
バンタンデザイン研究所に在学中、佐藤可士和氏率いるSAMURAIで学生インターンを経験。卒業後はHAKUHODO DESIGNに入社し、アートディレクター永井一史氏に師事。ブランディングエージェンシーSIMONE、外資系広告会社グレイワールドワイド、アサツーディ・ケイ(分社後はADKクリエイティブ・ワン)を経て、2021年にカオナビ入社。2023年より現職。