※本記事は月刊『ブレーン』2024年6月号 「広告」多様化の時代 クリエイターの仕事と役割はどう変わる? に掲載している内容から転載しています。
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クリエイティブ職で活躍する人の中には、特定の分野だけでなく、さまざまな分野に関心を持つ人も多い。クリエイティブディレクターの山﨑晴太郎さんは美術大学出身ではないものの、演劇、写真、映像、空間デザインなどに幅広く興味を持ち、学んできた。多様な経験が自身のキャリアにどのように影響しているのだろうか。
セイタロウデザイン クリエイティブディレクター
山﨑晴太郎(やまざき・せいたろう)
セイタロウデザイン代表/クリエイティブディレクター。JMC取締役兼CDO、プラゴCDOも務める。「社会はデザインで変えられる」という信念のもと、デザインブランディングを中心に、多様なチャネルのアートディレクション・デザインを手がける。
異なる分野の原体験が表現に役立つ
いろいろな分野を勉強していますが、メインであるグラフィックデザインだけは自己流です。さまざまな場面で得た経験、身につけた知識が役に立っています。
昔から表現することが好きでした。幼少期から20年ほど演劇を続けていて、大学では現代文化学科で写真を勉強。在学中にはバックパッカーとして旅をしながら、ストリートチルドレンなどを撮っていました。
並行してクラブイベントのオーガナイザーもしていて、フライヤーを毎日つくっていたのが、グラフィックデザインの始まりです。その時から、クラブでストリートチルドレンの写真を展示するなど、「分断されているところにクリエイティブを繋ぐ」活動に意味を感じていました。これは今の考え方にも繋がっています。
写真を撮るうちに、点の表現である写真が連続する映像表現に興味を持ち、ニューヨークの映画制作の専門学校に留学。帰国した時には大手企業の選考が終わっていたのですが、制作会社のクリエイティブ職を中心に受けていましたね。
映像制作の知識や多様な経験を評価していただき、営業職や映像ディレクターなどいくつか内定をいただいたのですが、「なるべくいろいろなクリエイティブに関わりたい」という思いで、ベンチャーのPR会社のクリエイティブ職に。入社後はPRツールのデザイナーとしての仕事がメインで、化粧品や飲料業界のクライアントを担当しました。
当時は未経験ながらもう少しできると思っていましたが、コンペは負けまくりで、いちデザイナーとして土俵に上がることもできず、とても悔しかった覚えがあります。デザインの勉強をしたことがなく、技術的な指導をしてくれる先輩もいなかったため、自分でやるしかない。当時は、書店でデザイン系の書籍が出たら必ずすぐ読むようにしていました。
クライアントの担当者は百戦錬磨の方も多く、赤入れも上手。制作したデザインを見せたら「ラフですよね?」と聞かれてしまったこともあり、その後の提出をどうするか、とても悩んだという苦い記憶が今でも残っています。
3年目になり、仕事に慣れていくうちにジャンルに分かれた仕事だけでなく「デザインできるもの全てをつくりたい」と思い、学生時代の仲間と独立。デザイン事務所の社長として、単価の低い仕事でもとにかく受けていました。
内容はバナーや雑誌広告、飲食店のメニュー表などさまざま。経営には苦労しましたが、デザイナーと経営者の両方の視点を経験する中で「利益よりもデザインを重視しよう」と振り切ることに。それからは地道な仕事が評価されたのか、少しずつ仕事が増えていったと思います。
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