役作りは常に「理詰め」で行っている
中村:天音さんご自身は、俳優の道に足を踏み入れたとき「俺はこの道に全フリしてやっていくぞ」って決意はあられたんですか。
岡山:めちゃめちゃありましたね。やっぱり他の周りの人と比べて、自分のなかで圧倒的に足りない何か欠落したものがあるって感覚があったんですよね。だからそこを埋めるためにも、とにかく人よりも時間を注がないといけないって強迫観念みたいなものがあって、だから遊んでる暇があったら、とにかく台本読むっていうようなことをずっとしてました。
最近はそれだけだと、自分から出てくる表現が狭くなって幅がなくなる気がして、それ以外のことをすることで自分から出てくる表現が変わってくるんじゃないかってモードに切り替わって。休みの日は遊んだりするようになったんですけど、当時はツチヤに近かったかもしれないですね。
中村:そういうときって役者のレベルはドラクエみたいに見えるわけじゃないから、高め方や経験値の積み方とかってわからないんじゃないかなとかって思って。天音さん自身はどうやって高めていらっしゃるんですか。台本読むとか、人生の経験の幅を広げるとか、そういう感じなんですかね。
岡山:でも一応、理詰めでやってはいます。じゃないと再現できなくて偶然に頼るしかなくなってしまうので、ベースはそれですかね。でも感覚でやられてる方、できてしまう方もいるんでしょうけどね。
中村:理詰め。面白いですね。
岡山:ある程度自分でよしとできる部分は毎回出したいなってやっぱり思うので、基本言語化するようにはしてますね。
澤本:映画もそうですし、ドラマもそうだと思うんですけど、最初に脚本があるじゃないですか。それを読んで「これでいこう」ってある種全部組み立てていって、1回監督にボンって出すタイプなんですか。
岡山:そうだと思います。
澤本:人によっては監督と話したりしながら作りますって人もいるじゃないですか。
岡山:現場に入る前に「たぶんこういう役だろうな」っていう、ノルマというか、タスクというか、果たさないといけない役割を掴んだら、そこから外れないなかで、役割を最大限果たすための役作りをしておきます。その上で現場に入って、監督がどんな発注をしてくれるのかなって楽しみにしつつ、それを受けて+αで自分が載せられるものを考えています。
澤本:ちょっと違っているかもですけど、受験のときに「誰々の気持ちを述べよ」とかって問題があるじゃないですか。受験のときってすごく一生懸命文章読むから、自分でそいつの気持ちになって考えたりするけど、普段何となく小説読んでるときってそこまできちんと考えて読んでないですよね。でも脚本読む時って多分その人になりきって、自分のなかで「この人はこういう人間だ」って構築して読まれてると思うから、読み方が半端ないんじゃないかなって思って。
岡山:俳優部って、台本をもらうのが一番最後じゃないですか。監督だったりプロデューサーさんだったりスタッフ陣は、0→1のときからずっと親しんできてて、それぞれの部署ごとにディスカッションを重ねて解釈を深めていってるなかで、俳優部は最後にもらう。でも表に立ってチームを代表しないといけないので、読解は頑張りますね。チームのなかで一番台本を読む力を持っていないといけない部署なんじゃないかなと昔から感じてます。
澤本:だからその力がすごい人が、演技が上手いとか言われるんじゃないかなと思うんですよね。
岡山:たしかに。