でも。
世の中って、なんというか、こんなものなのかもしれない。
バカらしくなるくらい、ぼくの悩みと、この丹念に温められたゴマ油によるローション風呂のような体験はまったく関係がなかった。
そのまま目をつむって、大きく息を吐く。
ふと脳裏に、今ぼくがいる学芸大学駅のGoogleマップの俯瞰がイメージされ、どんどん引いていく。
東京が見え、日本地図が見え、雲を越え、大気圏を超えて、どんどん引いていく。釜山の市場では、人々が朝からチャミスルを飲みながら朝取れた魚を売り、インドでは牛が闊歩している。奈良でも鹿が闊歩している。
気がついたら、宇宙空間から地球を見下ろしている。
この地球ができたのは46億年前。その中で、人類が生まれたのはおよそ200万年前。ホモサピエンスが登場したのが25万年前だが、その歴史は、地球から見ても宇宙からみてもほんの一瞬だという。宇宙規模で考えたら、ぼくらの人生なんてほんの瞬きでしかない。
であるならば、自分の後悔やクヨクヨなんて、なんの意味がある?
いつ消し飛んでも誰も困らない、単なる塵芥ではないか。
そもそも、道端で見かけるアリやダンゴムシに、生まれてきた意味や理由があるか?そんなことを考えたことすらないはずだ。人間も同じ。人間として日本に生を受けた時点でガチャSSRだが、ぼくたちも虫のようにうごめいているだけだ。生まれてきた理由も、意味もない。
ライフ・ゴーズ・オン。
そして、大して意味もなく、死んでいく。
壮大な生の連環の中の一瞬に、たまたまヒトという思考することができる生物のカタチでお邪魔させていただいているだけなのだ(めちゃくちゃラッキーなことに!)
そのスケールで考えれば、世の中に恥ずかしいことなんて何もないではないか。
誰もお前の失敗や後悔やクヨクヨなんて見ていない。自分の好きなように自分の人生を生きてやればよいではないか。逆に、宇宙の歴史に残るくらいの恥をかくくらいのほうがおもしろい。
世の中は、まだまだ知らないことだらけだ。
未知のことに触れ、不安におしつぶされて鬱にもなれば、逆に、まだ体験したことのないワクワクする気持ちも、未知の中にしかない。
今いる場所から逃げても、今自分の目の前にある不安を、また別の場所に持ち込むだけだ。「ここではないどこか」なんてない。
一分一秒を、自分がやりたいことのために生きよう。