コピーについてどう学び、書き方を身につけてきたのか、オリエンとの向き合い方、言葉を選んでいくプロセスなどの話題について深掘りしていくごとに、登壇者それぞれの着眼点や取り組み方の違いが明らかに。来場者からは「自分とは違う考え方に刺激を受けた」「誰もが正しいと思うやり方などなくて、自分のスタンスを見つけていけばいいと思った」「コピーを書きたくなった」などの感想が聞かれた。
学びのための余白を大切にしたい
三島:はじめに、本日の登壇者を紹介します。太田さんは2023年度TCC賞の審査委員長であり、コピー年鑑の編集委員でもあります。その太田さんが年鑑の編集委員長に指名したのが麻生さん、そして僕は麻生さんのお声がけで編集委員として年鑑づくりに携わりました。この3人に加えて、TCC賞の受賞者である杉井さんに若手代表として参加していただきます。
今回の年鑑づくりはまず、麻生さんから「コピーに向き合う」年鑑という方針が示されました。単なる広告のアーカイブではなく、学ぶための道具である、ということです。
麻生さんによる編集後記には、こう書かれています。
「既に学びたい人には、既にそれぞれの学び方がある」こともまた信じたい。
だとすれば、むしろ個々の学びのための余白を大切にしたい。
そこで今日のテーマを「学びのための余白について」としたいと思います。
麻生:僕たちそれぞれがどのようにコピーの書き方を確立してきたのか、学びの余白をどう埋めてきたのかという話をして、それが少しでも皆さんのヒントになればと思っています。
コピーそのものを身体に入れていく
杉井:では、質問をしていきたいと思います。そもそも、コピーを学ぶとはどういうことなのだと思いますか。
三島:僕は、コピーを学ぶということには、いくつかの段階があると考えています。最初の段階は、コピーで使われる言葉を身につけること。コピーは日本語なので、誰にでもわかる言葉ではありますが、そこには独自の文体やリズムが存在します。過去のコピーを学びながらその違いを身体に取り込むということが、最初の学びだという気がしていて。それは、コピーとはこういう言葉であるというふうに頭で理解するというよりは、過去の名作コピーなどをひたすら覚えて、コピーそのものを身体に入れていくという感覚ですね。
三島邦彦氏(電通 コピーライター)
麻生:そのためには、その前に日常言語と広告の言語には文体的に違いがあるということに気づいた瞬間があると思うのだけど、その違いには、どうやって気づいたの。
三島:宣伝のようになりますが、コピー年鑑を読んだんですよね。コピーとは何かがよくわからないから、まず読んでみようと思いました。