ただいま! 12年ぶりにアドタイに帰ってきました。
博報堂キースリーの社長を務めている重松俊範と申します。
さかのぼること10年以上前、2012年にアドタイでコラムを執筆していまして、当時は読売広告社の上海支社で支社長をしていました。
参考記事
某クライアントの案件で99カ国以上の方に同時にサウナ入って貰うというギネス記録を取ったりしました。
https://www.advertimes.com/20130426/article109895/
20~30代にかけて中国語を必死に覚え、中国での仕事や生活に没頭していましたが、40代となった今は日本でweb3(ブロックチェーンを活用したマーケティングや新規事業など)に携わっています。
この12年で私のキャリアがどのように変遷したのか、そして今どのような可能性をweb3に見出しているのか、全6回にわたってお話ししていきたいと思います。どうぞお付き合いください。
著者が撮影した2005年11月の上海。浦東のビル群もまだスカスカ。
“掛け算”のキャリアで生き残る
「シゲって中国人材だったよね? なぜ今はweb3?」
よくそう聞かれます。実は私的には2005年に読広の社員として中国に挑戦した理由と、現在web3業界にいる理由は同じなんです。
それは中国もweb3も、これから10年、20年と自分が戦える市場だと考えたから。多くの人が「チャンスかも?」と思いつつも二の足を踏むかもしれない領域に飛び込むのが好きなのだと思います。そして、そうやって飛び込むことが“相対的に自分のキャリアのリスクを下げる”と信じています。
私は今月で46歳。65歳になっても大好きな広告業界で楽しく働いていたい。そのためには、凡人の私には何か特殊なキーワードを掛け算してあげないと、という気持ちがあるのだと思います。
振り返ると中国での仕事は2005年~2017年の12年間にも及び、なかなか波乱万丈でした。帰国してから7年経ちますが、当時悪戦苦闘した経験は今に活きている……と思います。
少しだけ当時のことを振り返ると、いろいろな事件がありました。
まずはカメラマンベスト事件。
プロ仕様のデジカメのプロモーションの一環で、ノベルティとしてカメラマンベストを中国の工場に発注しました。クライアントからは「レンズやアクセサリーを傷付けないように、全てのポケットの内側にフリース素材を貼るように」と指示を受け、それを工場に伝えました。
しかし、仕上がった3000着のポケットの内側の“片面”にしかフリースが貼られていませんでした。残りの片面はカメラマンベストそのままの硬い素材。
ポケットの内側を指し示しながら説明する工場責任者曰く「おまえはポケットの内側にはれと言った。こっちはポケットの内側だが、こっちはベストの外側だ」。
全て手作業で追加のフリースを貼ることになりました。
次にフラッシュモブ事件。
日系アパレルメーカーの上海進出プロモーションとして店舗前で大人数ダンサーによるフラッシュモブを企画しましたが、イベント直前のリハーサルでダンサーが誰一人ダンスを覚えていませんでした。
悔しさのあまり私はリハの現場で号泣。「なんだこの日本人!?」と引くローカルイベント会社の中国人プロデューサーとその仲間たち。
しかし泣き脅しも虚しく、最終的にダンスは完成せず。結局、やたらファッショナブルなダンサーが店舗前でイソイソとチラシを配る企画に変更することで、クライアントにお許しをいただいたのでした。
なぜ、中国×広告という専門性を手放したか
刺激だらけの中国駐在でしたが、実は10年を過ぎたあたりでマンネリ化していきました。
当時の自分は、日本に帰るたびにワクワクドキドキ。日本で見かける新商品は全てが興味深くて、コンビニに30分も滞在する始末。
これは思っていたのと何か違うぞ?と思い始めました。独自性や市場の伸びを感じて飛び込んだ中国ですが、いつの間にか日本にこそ、新しさや可能性を感じるようになってしまっていたんです。
当時30代後半。このまま40代も中国にいると「中国×広告」という分野のスペシャリティは高まる反面、どんどん中国から出にくくなってしまう。自分はこの先何十年も中国でのキャリアに賭けていくのか……? そう悩んでいた頃に第一子が誕生し、これも神の思し召しかと思い、中国を離れる決断をしました。
そして12年ぶりに38歳で本帰国し、心機一転。転職して別の広告会社の海外事業部に職を得ました。
そこでこれまでの専門性を活かそうと思いきや、職場には中国語ネイティブもバイリンガルもトリリンガルもMBAホルダーもたくさんいる状況。強みだと思っていた部分が活きず、「ただの中国語ができる広告マン」に……。
自分にこれといった売りがなくなり、日々猛烈な焦りを感じていました。
そんなある日、とある雀荘にて、「もう一度この先長期視点で向き合うものが欲しい」と強く思うきっかけになったできごとがあったのでした。
【次回に続く】