“試し”にみんなで「小説家になろう」
ノンフィクション=事実だとしたら、フィクション=ウソ、ということができます。ウソなので、その成果物自体は真実味を帯びたことではないはずです。
しかし、その制作過程においては、作り手の経験や体験=リアリティを組み合わせて構築されていると言います。
この想像力(創造力ではなく)をフル活用して、日々仕事をしている職種があるかと思います。
そう、「小説家」です。
もちろん、小説家はとして売れるには、相応の取り組み方が望まれます。
しかし、その発想の仕方=想像力そのものについては、誰でもできる可能性があると僕は考えています。
その主な理由としては、それこそAIと共創すればいいからです。つまり、動機となるプロンプトを入力して、物語を書いてもらうことで、その作業効率や苦手意識を減らせるからです。(マーケティング分野では、既に、ペルソナのストーリーを生成AIと共創する手法が活用されていますよね)。
次に、「試しに」想像してみる、とはどういうことでしょうか?
これは料理に例えると、「味見」に似ています。
料理する過程で、具材や調味料が適当だったら試しに確認してみて、思った通りなら続行、違ったら少し変えてみる、などとするかと思います。
つまり味見とは、最終的には成功して完成させるための許容される失敗の繰り返し、と言い換えることができます。
料理でも仕事でも、失敗が許されない=味見できないと、色々とプレッシャーがかかりますよね?
仕事も同じで、試しに想像してみる=小さな失敗が許される、を繰り返しながら未来について構想していく、ということができます。
むしろ、前回のコラムで言及したように、今後、AIによる膨大なデータ(ビックデータ)のやりくり=「情報変換」役を担ってもらえる割合は増えることは確実です。そうなると、人は動機づくり=物語る力を、むしろ今まで以上に発揮する必要があるのではないでしょうか。
昔から人は、多くの「情報変換」が担ってきたわけですが、急速にAIに置き換わりつつある現在、人はどのようにこの「情報」に向き合っていけばいいのでしょうか?
次回は、この情報とストーリー・プロトタイピングの関係についてみていきたいと思います。