海外の映画関係者が集う場に、日本人はいなかった!?
前述のように黒澤明氏、是枝裕和氏、北野武氏などが存在感を発揮してはいたのですが、私が初めて同映画祭に参加して、会場を観察するなかで感じた違和感は、驚くことに、このような活用しがいのある環境を利用する日本人たちがどういうわけかほとんどいなかった、ということです。
例えば、ジャパン・パビリオンや見本市の日本団体のブースにはいつも日本人が滞在し商談をしている様子が頻繁に見られました。その一方で、プレス用の休憩所や仕事場、見本市のステージなどに行っても、または夜にバーやクラブハウスなどの様子を覗いてみても、ほとんど日本人の姿は見られずに、その場にいるアジア人が私だけという場合がとても多くありました。
街中や入場券が一般購入可能な見本市の会場ではアジア人の姿が数多く見られ、日本語の会話を耳にすることも時にあったために、その対比で余計にそう感じてしまったのかもしれません。私は英語での会話はできますが、仏語はあまりできず、見た目は完全な日本人です。それにもかかわらず、スタッフの方々はいつも私に対して親切に応対をしてくれました。私だけが特例だったり、日本人だけが立入禁止だったりした、という可能性があったとはあまり思えません。
たまたま、私とは違う場所で日本の人たちが他のところで盛んに交流をしていたという可能性もあるでしょう。しかし、もし仮にそうでないのだとしたら、いいかえれば、もし「カンヌ国際映画祭」という貴重な場で、交流や仕事で偶然にも同じ場所で居合わせた人たちと新たに出会えるかもしれない可能性を多くの日本人は捨ててしまっているのだとしたら、それはとても残念なことだと感じます。
あまり日本の文化には馴染まないのかもしれませんが、仕事の休憩中やバーなどで、たまたま近くのテーブルや席、もしくは友人の紹介などで居合わせた人たちと話が弾んで、予期していなかった新たな商談が発生したり、自身の演技力や創作意欲が刺激されたり、といったことは十分に起こりうるでしょう。日本人がそのような場にほとんど顔を出さないせいで、この可能性が0になってしまっているのだとしたら、それは個人にとっても、日本全体にとっても、非常にもったいないことだと思います。
ただ、これは個人でそれぞれ意識を変えれば解決するような問題ではないのかもしれません。
まず注目すべきなのは、映画祭への日本人の参加形態です。プレスを例に挙げると、今年度日本からの計26団体の総参加人数は計40名であり、うち1名が1団体を代表して取材に来ていたのは計19名(19団体)にも及びました。
他方で、欧米からのプレスは1団体が複数名を派遣しているのが当たり前で、人員の豊富さがうかがわれました。人員が少ないと、まずは仕事をこなすことが優先であるので、不確実な出会いなどに費やせるだけの時間や心の余裕があるはずがありません。これは、日本の地理的遠さ、円安、各企業の方針など、さまざまな要因が絡むもので、改善は容易ではありません。
加えて、これは原因とも結果ともいえますが、カンヌのコミュニティの中心に深く入り込めている日本人や日本人の団体は少ないのではないか、という懸念があります。
ある作品の上映にて私の隣の席に座った映画関係者の方は、もうすでに映画祭に15,16回参加をされている常連の方でした。その方からお話をうかがうに、特別な繋がりのある人の手には、バーやクラブハウスなどへの招待券が自然と渡るような仕組みになっているそうです。その方は運営と掛け合ってみたらどうか、と私に快く情報を教えてくれましたが、セレブとの個人的な付き合いのみならず、プレスと運営という比較的公式的な関係にまでも、カンヌのコミュニティの内と外という尺度が今でも根強く残っている、という事実があることには非常に驚かされました。
もしかするとこれが、これまで日本人がそのコミュニティの入り口となりうる人と偶然出会うことの可能性を捨ててきたことによる弊害であるのかもしれません。また、日本人の多くがそのコミュニティの外側にいるために、余計にそのような場への招待の情報が日本人には届きづらく、新たな出会いの可能性に満ちる場へ参加できるような機会自体も少なくなるのではないか、とも考えられます。
今年度は、文化庁が主催するジャパン・パビリオンで議論や交流のためのイベントが複数企画され、民間でも国内外の映画関係者の交流を目的としたパーティー「JAPAN NIGHT」が開催されました。他にも、私が直接参加できたわけではありませんが、ジャパン・パビリオンやホテルの会場などを拠点として、日本をテーマに取材や記者会見、パーティーなどがいくつか行われていたようです。
このような、新たな出会いの場を日本が主体となって設けるような取り組みは、新たな人たちと出会う、という課題をある程度は解決するでしょう。しかしながら、一方でこの対象とされるのは比較的、日本に対して好意的な印象を持っている方たちで、日本には価値があると思って自らこの場へとやってきてくれる映画関係者だけに限られてしまいます。そのため、この方法は日本に対する好意的な印象や価値が共有されているコミュニティに対してのみ通用するものであって、そのコミュニティの外部にまで情報を届かせて、その人々に新たに日本の価値を見出させるということにはあまり効果的ではないでしょう。