今年、ありがたいことにTCCの最終審査員に選んでもらった。審査の日は、広い会場の隅に並べられた長机に30数名の審査員たちが座る。ぼくの前の席にはあの人がいて、右にはあの人、左にはあの人、後ろにはあの人。四方をコピーライターなら誰でも知っているあの人たちに囲まれて、ファミコンのコントローラーの十字キーの真ん中のへこみにハマったようだった。Bダッシュで逃げだしたかった。16連射したように脇汗がどばどば出ていた。
あの人たちが勢揃いした会場に漂う緊張感といったらない。そんな空気感のなかで、審査は進む。自分が関わったCMやグラフィックも、厳しい目にさらされる。ぼくは、あーこの目を意識してこなかったなあと思った。
オリエンにのっとっているか。CDのディレクションにはどうか。クライアントさんはどう思うか。世に出たときの反応はどうだろう。SNS上で話題になるだろうか。そのあたりまでは自然と意識するようになったけど、あの人たちに見られたときどう思われるかまで意識できるようになると、またコピーの書き方が変わる気がする。
審査を終えて思ったのは、これは審査会というより勉強会だなということ。審査員たちは、2日間に渡り朝から夕方まで、最終審査に残ったCMをじっくり見て、ボディコピーの隅々まで読み返し、なぜこの企画やコピーがいいと思うのかを熟考し、書いた本人がその場にいれば質問もする。そうやって、新人賞の作品からは、若い人たちの感性を吸収する。一般部門の作品からは、新しい考え方や言葉遣いを学び取っている。
審査発表のときには、受賞した人はさらに自信を深めるし、逃した人も悔しさをしっかりと胸に刻み次につなげる。審査が終わったら終わったで、年鑑に掲載される講評を書くために、もう一度、なぜあのコピーがよかったかについて深く考えることになる。
つまり新しいコピー年鑑が店頭に並ぶ頃には、最終審査員たちは、とっくにその中身を吸収し終わった後だということ。トップのコピーライターたちが、ずっといいコピーを書き続けられているのは、そうやって毎年、審査の場で学んでいることにもあると思う。きっとトップの人たちがいちばん勉強している。
もう何年も大学の図書館には行ってないけど、コピー年鑑はまだあるのだろうか。あればいいな。ぼくの書いたコピーがのっているコピー年鑑が並んでいたらうれしいな。