皆さんこんにちは。博報堂キースリーの重松俊範です。
前回のコラムでは、中国に12年間滞在し読売広告社の上海支社で支社長を務めていたにもかかわらず、いざ帰国をしてみたら「ただの中国語ができる広告マン」として自分の強みが通用せず、猛烈に焦りを感じたところまでを振り返りました。
雀荘で訪れた1度目の転機
12年間滞在した中国から帰国した2017年、一度は競合の広告会社に転職したものの、いまいち強みが活かせていない日々を過ごしていました。
そんな頃、渋谷のフリー雀荘にふらりと立ち寄ったときのこと。「来週土曜に矢島亨雀王来店!」のポスターが貼ってありました。「矢島亨……」。大学時代、死ぬほど一緒に麻雀をしていた友人の名前を見て誤ポンしそうになりました。
当日、恐る恐るお店に行くと雀卓には20年ぶりのヤジ(彼の当時からのあだ名)が。そのまま二人で食事に行き、そこで運命的な一言が飛び出しました。
「俺は常に今日が人生で一番楽しい、なぜなら毎日ずっと麻雀をやっていて、今日が一番麻雀が強いはずだから」。
会わなくなって20年以上、ヤジはひたむきにひとつのこと=麻雀を続けていたんだなと思い、なぜかわかりませんが目頭が熱くなりました。大学時代から確かに図抜けた雀力だったヤジ。でも当時、雀王と一般ピーポーほどの差は絶対になかったはず。20年で人はここまで上り詰められるのかと思い、自分ももう一度一生懸命になれる何かを探そうと誓ったのでした。
彼に触発され、自分も新たな何かに挑戦しようと思った私。2019年にAI動画制作ツールをSaaSモデルで販売する会社の取締役に就任しました。
ただ、AIという謳い文句でしたが、実際には今のAIのレベルとは全く異なり、当時は時期尚早だったと思います。結局『THE MODEL』(翔泳社)を3回読み、BANT条件(営業時のヒアリングのフレームワーク)を変更し、宮崎県にインサイドセールスチームをつくっても成果は出せず。悶々としている中で2020年のコロナ禍がやってきました。
「哎呀!好厉害!」
「コロナ下でどう生き残っていこう」。恐らく誰もが焦りを感じていたあの状況の中で、私も次の一手に悩んでいました。
いろいろと模索する中で、ふと思い出したのが、「Gear VR」で初めてVR体験をしたときのこと。上海にいた2015年頃、仲の良いエンジニアがふらりとオフィスに持ってきて皆でVRの体験会をしました。そしてあの時の「哎呀!好厉害!(※なにこれ最高じゃん!(意訳))」という驚きが突如蘇ったのです。
2016年に行われた謎の会合「上海VRの会」。業界のクリエイターの皆さんにも参加いただきました。
コロナ下で人とは直接会えず、ビジネスマッチングイベントも開催できない。これは逆にチャンスだ!とメタバースの可能性にたどり着きました。早期に“メタバースで開催できるビジネスイベントプラットフォーム”をローンチし、順調に滑り出しました。
ところがすぐに新規参入が30社も現れ、半年も経たずに案件単価が1/10に。サービスを売っても売っても赤字の状態が続きました。そして、皆さんもご存知の通り、結局当時の段階で、メタバースがマスアダプションするのは難しい状況でした。