女性の喫煙の推進、ベーコン業者や「バカラ」のPRも
ドリス・フライシュマンは、アメリカのジャーナリストであり、パブリック・リレーションズ(PR)業界の先駆者として知られています。
詳細は後述しますが、アメリカン・タバコ・カンパニーの「自由のトーチ」キャンペーン、ベーコン業者から依頼を受けての「ベーコンと卵の朝食」キャンペーン、Baccarat(バカラ)グラスの広報活動などの実績が有名です。
彼女はエドワード・バーネイズのパートナーとして、彼のエージェンシーで活躍しました。
フライシュマンは1891年にニューヨークで生まれました。ニューヨーク市立大学バーナード校で教育を受けました。その後、バーネイズの紹介でニューヨークの新聞社で記者としてのキャリアをスタートしました。彼女は女性の権利と社会正義の問題に関心を持ち、多くの記事を書きました。
1922年にエドワード・バーネイズと結婚しましたが、フライシュマンは、女性に結婚後も名前を残すことを推奨する団体「ルーシー・ストーン・リーグ」のメンバーでもありました。
1925年、フライシュマンはバーネイズと共にヨーロッパに旅行する際、米国務省から自分の旧姓である「Doris Fleischman」としてパスポートを発行されました。これは当時の女性にとって非常に珍しいことであり、結婚後も自分の名前を保持する権利を主張する、象徴的な出来事となりました(その後、彼女は考えを変え、名前を変え、ドリス・バーネイズとなりました)。
フライシュマンとバーネイズは、家庭生活と仕事の両立を図るために協力し合いました。彼らの関係は、当時としては先進的なパートナーシップの例となり、家庭内外での女性の役割についての新しい考え方を示しました。
「女性の自立と権利」を追求し続けたPRパーソン
フライシュマンはバーネイズのPR会社で重要な役割を果たし、特に企業の広報活動やメディアリレーションズにおいて多くの貢献をしました。
彼女は、女性が男性と同等の権利を持つべきだという信念を持っており、女性の権利の向上にも努めました。フライシュマンは一生を通じて女性の権利の擁護者であり続けました。彼女は女性の職場進出を支援し、職業上の平等を訴えました。
フライシュマンはバーネイズとともに多くの重要な広報キャンペーンを手掛けました。以下に代表的なキャンペーンをご紹介します。
・アメリカン・タバコ・カンパニーの「自由のトーチ」キャンペーン
1929年のイースター・パレードで、フライシュマンとバーネイズは「自由のトーチ」と呼ばれるキャンペーンを企画しました。
このキャンペーンでは、女性がタバコを吸うことを「女性の解放」として宣伝し、社会的に受け入れられるようにしました。多くの女性がパレードでタバコを吸う姿を見せることで、女性の喫煙を推進しました。
・ベーコンと卵の朝食キャンペーン
1920年代、フライシュマンとバーネイズは、米国でのベーコンと卵の朝食を普及させるためのキャンペーンを手掛けました。
これは、ベーコン業者であるBeech-Nut Packing Companyの依頼によるもので、彼らは医師の意見を引用して「重い朝食が健康に良い」と主張し、ベーコンと卵の朝食を推奨しました。このキャンペーンは非常に成功し、今日のアメリカの典型的な朝食スタイルを確立しました。
・Baccaratグラスの広報活動
フライシュマンとバーネイズは、高級ガラスメーカーであるBaccarat(バカラ)の広報活動も手掛けました。
彼らは、Baccaratグラスの品質とエレガンスを強調するために、さまざまなプロモーション活動を実施し、アメリカ市場でのブランドの地位を確立しました。
フライシュマンは、これらのキャンペーンを通じて、広報の分野で革新的な戦略を開発し、PR業界の発展に大きく貢献しました。彼女の仕事は、広報活動がどれほど強力な影響力を持ち、社会の意識や行動を変えることができるかを示すものです。
また、バーネイズの著書『Propaganda』や『Public Relations』には、フライシュマンの影響が見られます。彼女は、女性の権利と社会的平等を強く訴えることで、彼の仕事に重要な視点を提供しました。