「PRを生業とする人」は社会を学び続けなければならない
先日「各国の法律」をテーマに話をしていた中で、ラオスから来たというクラスメイトが、1940年ごろの自国の占領や迫害の話をしてくれました。
1900年代と近く、しかも同じアジアの話なのによく知らないなと思い、家に帰って調べてみると、しっかりと日本もその頃のラオスの占領に関わっていました。「そうなんだ」とお気楽に聞いていた自分自身を恥ずかしく思った瞬間でした。
みんなの話を聞くたびに、自分が世界に対していかに無知であるか、これまで限定的な視座しか持っていなかったかということに気づかされます。
自分が知っていることは断片的であり、理解できる価値観だけで物事を見てしまったり、語ってしまったりしていた。見えない知らない場所への想像力が欠如している――そんな自分を目の当たりにしながら、落ち込むことはもう、しばしばを通り越して日常だったりします。
一方で夜になれば、日本と企業と社会とのコミュニケーション、いわゆるPRと呼ばれる領域について仕事をしていたり、事業をやっていたりします。
この二重の暮らしをしながら、社会に対してメッセージを投げかけていくことを生業にしているからこそ、社会のことを学び続けなきゃと思いながら生活しています。
これからますます、日本企業もグローバルへの進出が増えるでしょうし、海外からの旅行客も昨年から増え続けており、日本以外の顧客を抱える企業も増えていくでしょう。
私も含めた社会とコミュニケーションをするメッセージをつくる職に就く人は、自分たちが直面する課題や事業領域以外の社会の状況も的確にとらえ、それに対しての見解や視座を持つ必要がより一層出てくると思っています。
そんなわけで、ポートランドでの自身の無知ゆえの恥ずかしい体験やエピソードも交えながら、最近の社会の動きや廃棄物の問題、商品選択と消費行動、移民と多様性、ジェンダーギャップといった社会課題(ソーシャルイシュー)に対してどう対峙していくかをみなさんと一緒にこのコラムを通して、考えていけたらと思っています。
これからよろしくお願いいたします。