人はAIにデータを“食わせる”ための“エサ”になってしまうのか?

前回は、これまで人がやってきた様々な情報変換作業を代わってくれるAIと共創していく社会において、動機づくりであるストーリープロトタイピング(物語試作)が大事になってくる話をさせてもらいました。

今回は、その「情報」について、改めて考えていきたいと思います。

ところで、「情報」とセットで大事な用語として、「データ」があります。
この2つの用語は、ここでは区別して考えたいと思います。

例えば、頭の中で構いませんので、「赤い丸」を思い浮かべてみて下さい。
この状態では、ただの「赤い丸」という「データ」(=形式知)に過ぎません。

次に、その「赤い丸」の背景として「横長の白い四角形」を思い浮かべてください。

…そう、「日の丸」(日本の国旗)、つまり、日本の象徴という「情報」(=意味)になりました。

身近な例をもうひとつ。

「80%」という数字(=データ)。

その横に「傘マーク」がつくと、「降水確率80%」という意味、つまり「情報」が生まれるかと思います。

このように、「データ」とはそれ自体に意味はなく単なる図形や数値です。そのデータに、何らかの視点や別データを付け加えることで、何かに役立つ「情報」に変化します。

ただここで注意が必要なのは、何かデータで、何が情報なのかは、その人の現時点での興味関心や立場、仕事のミッションなどで変わることです。

例えば、先の降水確率の場合であれば、翌日外へ遊びに行く人と、屋内の場合とでは、関心度や行動が大きく変わりますよね?

あと当然ですが、そもそも、「数値+%+傘マーク」という表記が、「降水確率である」ことを知ってる必要があります。

これを、AIに学習させることを思い浮かべてみてください。

前回のコラムで言及した通り、「AI=日本語が分かる宇宙人」なので、短時間でどこかでインプットする必要があります。

こうやって考えていくと、僕ら人は、膨大なデータや情報を生まれたときから学習してることになりますよね。

これについては、「モラベックのパラドックス」という概念があります。


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中原大介
中原大介

帝京平成大学人文社会学部専任講師、慶應義塾大学 SFC研究所上席所員、東京工科大学メディア学部兼任講師。専門は、インタラクションデザイン、デジタル教育、SFプロトタイピング。最先端のAIテクノロジーの社会実装、産学官民共創による教育エコシステムの研究に取り組んでいる。近著『一般教養としてのプログラミング』(SBクリエイティブ、2023年)。

中原大介

帝京平成大学人文社会学部専任講師、慶應義塾大学 SFC研究所上席所員、東京工科大学メディア学部兼任講師。専門は、インタラクションデザイン、デジタル教育、SFプロトタイピング。最先端のAIテクノロジーの社会実装、産学官民共創による教育エコシステムの研究に取り組んでいる。近著『一般教養としてのプログラミング』(SBクリエイティブ、2023年)。

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