伊藤忠商事「おかげさまで、幸せです」篇(30秒)
人間の濃密な関わりの描写がほしい
そのような視点でCMを見ていく。まずティザー篇「おかげさまでが地球を」では、地球の映像をバックに「おかげさまで、生まれました。」「おかげさまで、諦めずにすみそうです。」、「おかげさまで、商い、続けさせてもらってます」など幾つかの「おかげさまで」の場面が言葉だけで入るのだが、そのシンプルさと感情を込めた言葉のゆえに、背景の人間関係までが推測できて、心から「おかげさまで」と言っている様子が、「ああ、よかったなあ」という感情さえ引き起こすのである。
次に本編「おかげさまで、幸せです」だが、3つの挿話、(1)1858年の近江。道で出会った農民の商人親子への言葉「立派になったなぁ」に返す「おかげさまです」(2)1955年のテキサス。取引先の「GOOD JOB!」に返す商社マンの「おかげさまで」(3)2004年のロンドン。二人連れの商社マンの会話「いいことでもあった?」に返す「おかげさまで」が、それぞれ年と地名まで入れたのは同社の歴史の一コマを象徴したかったのだろう。セットも作り込んである。
だが残念ながらここでの「おかげさまで」がどうも刺さらない。例えば(1)の軽い口調。(3)の日常的すぎる会話。いずれも「おかげさまで」に濃密な人間関係が見えない、いわば「あ、どうも」程度の儀礼的なやり取りとしか感じられないのだ。辛うじて(2)が共感できるのだが、英語の「GOOD JOB!」に対して日本語で「おかげさまで」と答える設定に違和感が付きまとう。
折角の「三方よし」、「おかげさまで」である。そこに込められた人間の濃密な関わりをもっと深く表現する必要があろう。
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