「生活」したことないAIと、「生活」してる(つもりの)人

フィクションに触れる

『人間が想像できることは、人間が必ず実現できる』

ジュール・ヴェルヌ(1828 – 1905)

上記は、著名なSF作家の格言です。

この文が示してる通りで、フィクションというのは単に作者の妄想を広げたいだけでなく、現実の社会に実現したいという想いが原動力になってるものも少なくないと思います。

実際の実現できるかどうかや、そのテクノロジーの仕組みやコンセプトが重要なのではなく、長年読み継がれてきているフィクションには、作者のそのパッションや好奇心、つまり、何らかの強い動機が込められているはずです。

別に、小説に限らず、マンガやゲーム、映画等、ジャンルやメディアは関係ないと思います。

このようなフィクションに触れること自体が、あたらしいストーリーテリングの在り方を示唆してくれるのではないでしょうか。

最先端テクノロジーに触れる

「あぁ、最先端のテクノロジーを使いこなさなきゃ…」

当該技術に対して、追い付け追い越せ、の風潮がある現代社会…。

特に本コラムのメイントピックである生成AIは、その日進月歩な進化も相まって、益々その感覚が強まってる気がします。

しかし、ここでは見方を変えてみましょう。

つまり、仕事で使うとなると途端にハードルが上がるので、例えば、自分の興味関心のあることでまずは生成AIと会話してみる、など。

そうすれば、最初は自分の好きな雑談感覚で、徐々に仕事絡みなどスケールを広げていけば、徐々に生成AIと言う宇宙人とも距離が広がっていくのではないでしょうか。

いろんな「自分」をもつ

「個人」(individual)という言葉があります。それに対して、分人(dividual)という考え方を提言してるのが、

「分人主義」

です。

「複数の自分をいきる」という趣旨になります。

よくよく考えてみると、普段の僕らの生活でも、


友達と雑談しているときの「自分」
家族といるときの「自分」
会社で仕事しているときの「自分」

…というように、いろんな自分を使い分けてるではないでしょうか…?

また、ソーシャルメディアの“裏垢”や、匿名のVTuberなども、ある種の自分の分人を表現している存在と言えますよね。

要は、これらをいろんな自分の立ち位置を受け入れて、よりよくいきるための考え方、と言うのが僕の解釈です。

フィクションを生み出す職業(小説家等)も、いろんな自分の1つの姿を、極端にデフォルメしたり、向き合ってる作品が多いと感じてます。

ストーリーをプロトタイプして共有や共感しあう上で、いろんな自分を意図的に使う分けたほうが、良い意味で逃げられますし、表現する上で心が軽くなると思うのです。

分人主義は、「ハッシュタグ型」コミュニティ※とも相性がいいと思います。

※「ハッシュタグ型」とは、個人が趣味や関心などさまざまな「ハッシュタグ」を通じて繋がり合うコミュニティのこと。相対する考え方が「フォルダ型」で、これは例えば「日本」の「〇〇会社」にいる人、というふうに所属組織をベースとしたコミュニティだとされています(参考:経済産業省・官民若手イノベーション論ELPIS)。

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中原大介
中原大介

帝京平成大学人文社会学部専任講師、慶應義塾大学 SFC研究所上席所員、東京工科大学メディア学部兼任講師。専門は、インタラクションデザイン、デジタル教育、SFプロトタイピング。最先端のAIテクノロジーの社会実装、産学官民共創による教育エコシステムの研究に取り組んでいる。近著『一般教養としてのプログラミング』(SBクリエイティブ、2023年)。

中原大介

帝京平成大学人文社会学部専任講師、慶應義塾大学 SFC研究所上席所員、東京工科大学メディア学部兼任講師。専門は、インタラクションデザイン、デジタル教育、SFプロトタイピング。最先端のAIテクノロジーの社会実装、産学官民共創による教育エコシステムの研究に取り組んでいる。近著『一般教養としてのプログラミング』(SBクリエイティブ、2023年)。

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