“生活”する
ここまで、(生成)AIと人との違いについて色々と僕の意見を言ってきました。
まとめも兼ねてその最大の違いは、
「AIは“生活”したことがない」
になるでしょう。
言い方を変えると、
「人は“生活”してきた」
ともいえると思います。
ここでいるところの「生活」とは、断捨離や料理が得意とか、そういうことではありません。単純に、日常で営んでいる行為そのものを指します。
橋香代子さんという方の、以下のnote記事をご覧ください。
AIが“食べる”のはデータだけですし、“寝たり”もしません。
でも、人はいろんなものを“食べる”し、“寝る”し、なんなら“サボり”ますよね。
要は、いま改めて人の日常的な生活を見直すことが、今後のAIとの向きたい方へのヒントつながると思うのです。
日常に着眼して、観察等の手法で非日常化することで、あらたな気づきを促すデザイン思考やアート思考とも関連が深いと考えてます。
本コラムは、これにて終了です。
ここまで、僕の個人的な意見や構想にお付き合いいただき、ありがとうございました。
この記事を通して、読者のみなさんのAIを通した“生活”が潤うことを、願っています!