新聞記者出身、企業広報のパイオニアの一人
ぺンドルトン・ダッドレイ(Pendleton Dudley)は、アメリカ企業広報のパイオニアの一人として知られています。彼は長年にわたって企業広報の分野で重要な役割を果たしました。
コロンビア大学卒業後、さまざまな仕事を経験した後、友人のアイビー・リーの紹介で『ウォールストリート・ジャーナル』の記者として採用されます。金融担当記者として多くの企業家たちと付き合うなかで、彼らの多くがメディアに対して無知であり、その対応ができていないことに気づきました。
1909年、ダッドレイはリーの助言を受けいれてウォールストリート・ジャーナルを退社し、米国5番目となる自身のPR会社「ぺンドルトン・ダッドレイ・アンド・アソシエイツ」を設立します。
ダッドレイは、多くの有名企業と契約を結びましたが、自身にとって最初のクライアントとなったAT&T社とは1966年に彼が90歳で亡くなるまで、クライアント契約を結んでいました。
企業の社会的責任を強調する企業広告を出稿
彼は、AT&Tの広報活動を統括し、企業イメージの向上や顧客との関係強化を図りました。特に、AT&Tが独占企業としての批判にさらされる中で、ダッドレイはそのイメージを守るための広報戦略を構築しました。
彼は、メディアとの関係を重視し、新聞記事やプレスリリースを活用してAT&Tのポジティブなメッセージを発信しました。また、彼は顧客サービスの改善や社会貢献活動を通じて、企業の社会的責任を強調する企業広告を出稿するよう尽力しました。
1919年に出稿されたAT&Tの企業広告。「すべてのお金はサービスに費やされる」と記している。
AT&Tは、1912年に米国の大手企業で初めて広報部門を設立し、1927年にはアーサー・ペイジを広報担当役員として採用するなど、企業広報活動に積極的に取り組みましたが、AT&Tの企業広報にはダッドレイが深く関わっていたものと思われます。
彼とAT&Tとの関係は、広報業界における重要な事例として現在も語り継がれています。彼の戦略と成果は、多くの企業が広報活動を展開する際の参考となっています。
ダッドレイは、プリンストン大学の学長を務めていたウッドロウ・ウィルソンの政界入りに向けた広報キャンペーンを手掛けていますが、その依頼主は誰だったのか、最後まで明かしませんでした。
彼は亡くなるまで、PR会社の代表を務めました。彼の死後、買収を経て1983年にオグルヴィ&メイザーの子会社となり、1988年にその歴史に幕を下ろしました。
ダッドレイの考え方や実績は、多くの広報実務家に影響を与え、現代の広報業界の基盤となる概念を確立しました。彼はPublic Relations Society of Americaに深く関わり、その前身団体の一つであるInstitute for Public Relationsの初代会長も務めました。