「買わない」「選ばない」という活動との付き合い方
米国は今、長い夏休みの真っ只中。2カ月半もあるのに子どもたちの宿題は一切ないので、サマーキャンプに行ってもらったり、アウトドアに連れ出したりしながら、共に過ごしています。
さて、ちょっと時を遡って米国の年度終わり(6月)の話を。日本と同様に卒業式など、さまざまなセレモニーやイベントが続くのですが、米国に暮らしはじめた頃に慣れなかったのが年度末の「ギフト」のカルチャーでした。
1年間、お世話になった担任の先生やサッカーのコーチに手紙を書いたり、ギフトを渡したりします。
もちろん強制ではないのだけど、このギフトカルチャーは日本よりも日常の中で色濃いものです。年度末に限らず、たとえば年末のホリデーシーズンにはご近所さんから、ケーキや、ギフトカードが届いたりもします。
このギフトの興味深いところは、そのギフトにはそれを渡す人の思想や価値観が反映されること。ローカルのものを選ぶことにしている人もいれば、ルーツとなっている国のカルチャーを反映するお菓子などをあげる人もいます。
私がよく使うのは、オレゴンのローカル企業で地球に優しい育て方をしているファーマーや畜産業者の商品を並べている「New Seasons Market」というスーパーマーケットのギフトカード。そこのコミュニティに貢献する姿勢に共感し企業への応援の意味もありギフトに選んでいます。
一方で、ギフトにそれを「選ばない」ということで思想を示す方法もあります。
少し前に「買い物は投票」というキャッチフレーズもよく聞かれましたが、今回のテーマは「消費」。「買う」ではなく「買わない」「選ばない」という活動との付き合い方を考えてみたいと思います。
パレスチナ問題と「買わない」活動の関係
アメリカでは、連日のようにパレスチナとイスラエルのことが報道されています。2024年に「買わない」という活動について考える上では、このパレスチナに触れないわけにはいかず、パレスチナに絡んで起こっている「不買」の状況をまず紹介したいと思います。
さまざまな企業がいわゆる「不買運動」の対象となり減益になったというニュースは日本でも報道されているのでご存じの方も多いかもしれませんが、おさらいもかねて。
たとえば、2023年の年末に報道がなされたファストファッションのブランド「ZARA」で始まった「買わない」活動の発端は、広告でした。広告に、パレスチナが受けた行為を揶揄するような表現を使ったということでSNSを中心として動きが広がりました。
また、世界で展開するコーヒーブランド「スターバックス」に見られる運動もご存じの方は多いでしょう。こちらは、労働組合がパレスチナ支持の声明を発表したことを告訴。この会社の姿勢への反発から不買がはじまっています。
こういうものは、一時的な企業の発信や対応によって始まっています。その企業やブランド内に根源的にある思想や価値観がその背景にあったり、発信を止めることができなかった社内の決裁体制やカルチャーにも起因していたりするケースもあります。根が浅そうで実は深いものもあるように思います。
一方でイスラエルに店舗や支店があり、軍に対して食糧、物品、電子機器などを提供しているということが背景となっているケースも。あるいは企業活動が、パレスチナ人の権利侵害、労働力を不当搾取していることが要因のケースもあります。
またイスラエルに法人がある場合には、その税金(つまり消費者が支払ったお金)が軍需に利用されるという流れがわかりやすく、こういった企業も対象になっています。
かたや、現地に法人がなかったとしても、たとえば、今使っている何か消費財ブランドが出資を受けていたとしましょう(あるいは子会社になっている)。
直接的にその企業やブランドが何かをしているわけではないけど、消費者が払ったお金は出資元を辿って、戦争の武器やドローンなど軍事に投資・活用されているという状況もあるのです。これも消費財ブランドの不買の理由となったりします。
総じてイスラエルのパレスチナに対する不当な政策や行為を支援する動きをしているブランドが対象となっており、不買という活動をしている人は、それを通して、そのイスラエルの行為を批判し止めようとしています。
一部紹介したようにいろいろなケースや背景があり、思わぬところで自分が加担していたということもあり得ます(リストなども公開されているのでそれをチェックするのはひとつの方法です)。
先日我が家でもとある消費財のストックがなくなった時、アメリカに住む友人がそのブランドを「(使うのを)やめたいと思ってる」と話していたことを思い出し、夫に相談。
食卓で「え、アメリカの企業じゃなかったの?」「イスラエルが本社だよ」「どういう加担をしているの?」といった会話が繰り広げられ、ふたりで改めて調べて、結局購入をやめた、ということがありました。
いつも買っているから、気に入っているからと、ぼんやりと消費していると、なかなか気付けないものだと実感したのでした。