ぼんやり消費をやめて、生産の現場を想像することの意味
アメリカではハロウィンにあたり、かぼちゃの収穫イベント「パンプキンパッチ」が行われる(筆者提供)。
いま、暮らしの中で消費しているものを見て、そのつくられている場所、つくっている人たち、つまり生産の現場をよく知っているものはどれぐらいあるでしょうか。
とりわけ都市部に住んでいると簡単になんでも手に入ります。私自身、東京都区内に住んでいた20代のころを思い返すと、つくらなくても消費し続けられる街に魅了され、東京最高!となっていた記憶があり、あの頃は、本当に消費と生産が分断された世界に住んでいたなと思うのです。
ポートランドに住み始めて、車で30分も行けば、農場に出かけられるようになり生産の現場が私の暮らしに近くなりました。ハロウィンの前にはパンプキンを取りに行ったり、初夏になれば、ブルーベリーやチェリーのピックに行ったりしています。
一方で、胡桃の木があるから取りにおいでという情報をWebで見つけて取りに行ったりもします。結果、移住して1年ぐらいで自分が消費するものがどこから来るのか?どこへ行くのか?ということがとても気になるようになりました(そして廃棄物への興味へとつながるのですが、こちらはまた次回に)。
暮らしと分断された生産の現場を想像することは、自分たちとは離れた場所や、異なる暮らしをする人々に目を向けるきっかけとなります。
ファーマーズマーケットを利用したり、海が近ければ、潮干狩りや釣りに出かけてみたり、庭でガーデニングをしたりという活動も、「生産」に目をむけられる身近な活動かもしれません。
そして今回テーマにした不買の事象に目を向けることも、切り分けられた場所へと意識を向ける足がかりとなります。
そして「買わない」活動は、過去に不買運動が企業を動かしたことがあるように、その消費と繋がる遠い離れた場所、直接関われないところの未来を変える一助にもなれる可能性も秘めています。
遠そうに見えて、身近にできる活動ということで、この「不買」という昨今のソーシャルイシュー(元を辿ればパレスチナですが)を今回は取り上げてみました。
ひとつ添えておくと、消費による意思表示、不買という活動自体は、簡単な気持ちで行うものではないとも思います。
なぜなら、そのブランドで働く人もいて、家族もいて、そちらとしての信条もあるから。ゆえに買わない側も自身の行動に責任を持つ必要があります。表面だけではなく、よく調べ、よく考え、自分としての正義だという信念の元に行いたいものです。
さて、ここまで「いち消費者として、どう不買と向き合うか」という視点で書いてきましたが、最後に広報やクリエイター、企業側で発信する立場にちょっと視点を移してみます。
発信者である前に、いち生活者であることを忘れない
私自身、広報の仕事とは別にちょっとしたプロダクトをつくったりしています。自分が発信者やつくり手に回ったとしても、ひとりのユーザーとして、生活者としての視点を失うな!というマイルールを持っています。
発信者や提供者である前に、ひとりの生活者・消費者であることが自分の判断を間違わせない、何かを引き止めるトリガーになると思っているからです。
企業にとって、いちばんのステークホルダーは社員。つまり、自分自身。企業の判断や発信に、GOサインを出すのも自分たちだけど、NOを最初に言えるのも、自分たちです。これはこの連載を通じて伝えたいことのひとつでもあります。
なので最後に提案で、今回は締めたいと思います。
企画会議で、企画を考える前に、会社の肩書や職務、役割はいったん置いておいて、消費者・生活者の自分に立ち返ってみてからディスカッションに入ってみませんか?
テーマは、ぜひ今起こっている「不買」で。その意味や背景を探ることで、遠く見えない世界への想像を膨らませ、接続してみていただければ幸いです。