広告代理店のAEとしてROIを追求した日々
その後、外資系素材メーカーや外資系銀行に広告の企画・提案・制作進行などを行うアカウントエグゼクティブ(AE)になり、クライアントとの会議後に毎日、英語のコンタクトレポート(会議議事録)を書きました。私の英語の文章はひどく、上司たちには校正でとても迷惑をかけながら日々働いていました。
あと数十年もすれば、コンタクトレポートはAIが自動生成してくれることになったでしょう。でもコンタクトレポートには会議の概要や目的、議論内容、検討内容、アクションプランまで明記することが必要で、自然とスキルが向上していきました。
外資系銀行をクライアントに持った際、主に外貨預金の商品を担当したことがあります。外資預金の広告は主に、日本経済新聞や金融専門誌に掲出していましたが、
日本経済新聞の広告部門や金融雑誌、顧客に投資情報を提供。当時は広告を見て電話やはがきで顧客からの問い合わせが来る時代でした。そこで日経新聞のどの面にどのサイズで載せ、どういった表現を組み合わせると最適かという勝ち筋を、顧客の反応数の予測モデル(完全予測ではなく、掲載後数日の反応数のカーブで最終反応数を予測するもの)により見つけていました。新聞は広告掲載の面積によって投資コストが違いましたし、金融専門誌は資料請求はがきを付けるかどうかで大きくコストが違いました。
この仕事でROI(投資収益率)を追求し続けたことは、後に私がマーケターとして、自身のブランドの独自性を形成できたことに大きく影響しました。30年後の今は、同じことを、マニュアルではなく生成AIで実現できるようになっています。ただ、今振り返れば、当時はAIがなかったからこそ、自分で頭と手を動かす経験ができたことが非常に大きかったと言えます。
入社して3年半ほど経った頃、外資系銀行のアメリカ人のマーケティング本部長から、スキル向上をほめてもらったことから、「そろそろMBAを目指しても良いのでは」と考えるように。そこで本格的にMBA留学対策を検討し始めました。アメリカ人にとってのMBAは当時、入社3~6年くらい経つ社員のためのものだったそうです。