犯罪か?寝言か?
提供:湘南ベルマーレフットサルクラブ
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。」
経済の利益だけを追求し道徳を無視すれば、社会に悪影響を及ぼします。一方、道徳的であっても経済的に成立しなければ、それは理想論に過ぎません。
この言葉を聞いたとき、あなたはどう感じるでしょうか?
自分の仕事は道徳的に欠如していて反省や気まずさを覚えますか?それとも、胸を張っていた企業理念がいまいち経済成長を生み出せておらず痛いところを突かれたと感じるでしょうか?
この言葉は、私の活動拠点である神奈川県小田原市の偉人、二宮金次郎(尊徳)が遺した報徳思想の核心を表しています。私は、このたった1行の格言に17年間悩まされ、時には助けられ奮起してきました。
そして、その意味合いが解像度を持って見えてきたとき、私の視野は「ゼブラ企業」という新しい概念にピタリと焦点を合わせることになりました。
二宮金次郎(尊徳)は神奈川県小田原市に生まれた。
「スポーツは特別だ」と思うと思考停止
私は2007年、Fリーグ(日本フットサルリーグ)の発足と同時にスポーツチームビジネスの世界に足を踏み入れました。人の感情の深層まで入り込み、お客さまとの強固な信頼関係を構築できることが多い業界でもあります。
提供:湘南ベルマーレフットサルクラブ
事実、親会社がなく地域に生かされながら活動をする私たちのようなチームの協賛企業の多くは、自分の町のチームを生かさなければという使命感を持ち、チームや所属する人間の志に協賛してくれています。広告効果を超越した“意志”が取引を成立させていると思います。
チーム内部に目を向けてみても、人手不足の現代にも関わらず入社希望やインターン希望が途切れることはありません。
営利目的の民間企業なのに「人・もの・金」全てにおいて優遇され、支援され、人が集まり本当にありがたい気持ちでいっぱいです。しかし言いにくいことに「人・もの・金」がいつも不足していて困窮し続けているのも事実です。
“恵まれているのに厳しい”このアンバランスに揺さぶられながら過ごす中で、ある日、気づいたのです。スポーツを特別だという思い込みが、私たちを停滞させているのではないかと。
スポーツは異次元で、その魅力は特別なものなので分析も言語化も追求する必要はなく、“辛く厳しいが、その先に夢と感動がある”という程度の漠然とした言葉でセールスをし続けていたことに気づきました。
このレベルでの思考停止が支援を受けるだけに甘んじて、収益性を確保できていない理由だと思いました。そしてこの意識変容が、スポーツチームを「ゼブラ企業」へ向かわせた要素の一つだと思います。
久光重貴との出会い
私の考え方に大きな変化をもたらしたのは、ある一人の選手との出会いです。久光重貴選手は、2008年から2020年まで私たちのチームに所属していました。彼はメディカルチェックで肺がんが見つかり、7年間の闘病の末、残念ながら亡くなってしまいました。
久光重貴選手は肺がんを患いながら、小児がんの子どもたちを元気づけようと精力的に活動していた。
闘病中の彼は、トップアスリートとしてトレーニングを続け自分の病気と戦うだけではなく、小児がんを患う子どもたちを元気づける活動を始めました。自分自身の大きな課題に向き合いながらも、他人の課題にも首を突っ込み、多くの人を巻き込み声をかけ、みんなの課題にしていく。賛同者や共感者はエリアや業種や性別年齢を超えて集まり、社会に大きなインパクトを与えられることを示しました。
スポーツ領域を超えて、他者のために行動する姿勢、社会課題に対してインパクトを与えていく姿。久光が示したことは、私たちが目指す「ゼブラ企業」の原型です。
「ゼブラ企業」との出会い
「ゼブラ企業」という概念との出会いは、今年の3月。ある日突然訪れました。普段私が口にする道徳と経済の両輪を回していく経営方針に対し、「同じような内容の指針が経済産業省から発信されている」と人づてに聞きました。
すぐに情報源を探って内容を知り、雷に打たれるような衝撃を感じました。
ゼブラ企業とは、経済的な成長を追い求める一方で、社会的な課題解決にも積極的に取り組む企業を指します。これは、従来の「ユニコーン企業」とは対照的です。
ユニコーン企業が高成長と利益最大化を目的とするのに対し、ゼブラ企業は経済成長と社会性の両立を目指し、他者との共存共栄の中、持続可能なビジネスモデルを構築することを特徴とします。経済性と社会性という一見相反する要素が白黒のシマウマに例えられたネーミングです。
このコンセプトに私は強く共感し、そこから2カ月、リサーチを重ね、有識者に会い話を聞き、私たちのチームが目指すべき方向性とイコールだとしっかりと受け止めました。
経済性と社会性の両立が現代企業に求められ、それが実現可能だと示されたことに大きな感動を覚えました。