米国留学中にインターンシップの面接に合格するも実施なし! それでも職を得られた理由

ジョンソン・エンド・ジョンソンでブラマネの基礎が身についた

話を戻しますが、キャリアの第一歩をどこでスタートするかは非常に重要なものでした。当たり前の話ですが、MBA卒業後に向けた就活では、ジョンソン・エンド・ジョンソン1社に絞るという無謀なことはしませんでした。他のグローバルなコンシューマー系の会社とコンサルティング会社にも挑戦しました。

なぜジョンソン・エンド・ジョンソンを選んだかというと、「Our Credo(我が信条)」に基づく強固なブランドがあり、ブランドマネジメントを先行して学んでいた私にはベストな会社だったからです。入社後、20数人のインターナショナル MBA採用の同僚と株主総会の会場の最前列に座らせてもらったとき、私たちはCEOから「これからグローバルのジョンソン・エンド・ジョンソンを牽引する未来のリーダーです」と紹介され鳥肌が立ちました。

その後、日本に帰国してアシスタントプロダクトマネジャーとして、「バンドエイド」や「リーチ(歯ブラシ)」などのブランドを担当しました。アメリカの「リーチ」の担当がMBA時代のクラスメイトだったこともあり、商品開発や日米の社内カルチャーの違いについてなど議論する機会が多くありました。

ジョンソン・エンド・ジョンソンは、マーケティング戦略構築や実行プロセスを世界基準で基本に忠実に行っています。ブランドマネジャー(プロダクトマネジャー)としての基礎的な経験ができたのは、非常に良かったです。

ジョンソン・エンド・ジョンソンで働いた期間は2年にも満たず短かったですが、嫌になって辞めたのではなく、日本コカ・コーラからポジションのオファーがあったからでした。当時同社のマーケティングのトップは、電通Y&R時代にクライアントだった外資系銀行の部長だった方でした。その当時から仕事が「できる」方だったので、面接で久々にお会いしたときに良い会話ができ、彼女と同じ組織で働きたいと思いました。もちろんそこには、50歳までのキャリアプランとの整合性がありました。ジョンソン・エンド・ジョンソンが扱っていたような日用雑貨品よりも、はるかに購買頻度が高く競争が激しい領域での経験が重要だと考えたからです。飲料メーカーである日本コカ・コーラに移籍してからについては、次回のコラムでお話したいと思います。

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友松 重之(アクセンチュア ソング マネジング・ディレクター)
友松 重之(アクセンチュア ソング マネジング・ディレクター)

電通Y&Rでキャリアをスタートし、米国でのマーケティングMBA、その後J&J、日本コカ・コーラ、GEでブランドマーケティング職に従事。ヤフージャパンでのマーケティング本部長を経て、マーケティング投資分析で世界有数のMarketShare社 アジア代表を務める。2016年5月 アメリカン・エキスプレスへ入社し、デジタルでの新規カード会員獲得、商品、テクノロジー開発の責任を持つ職責を担う。The CMO Club東京チャプター初代プレジデント、2023年10月より現職のアクセンチュア ソングへ。

友松 重之(アクセンチュア ソング マネジング・ディレクター)

電通Y&Rでキャリアをスタートし、米国でのマーケティングMBA、その後J&J、日本コカ・コーラ、GEでブランドマーケティング職に従事。ヤフージャパンでのマーケティング本部長を経て、マーケティング投資分析で世界有数のMarketShare社 アジア代表を務める。2016年5月 アメリカン・エキスプレスへ入社し、デジタルでの新規カード会員獲得、商品、テクノロジー開発の責任を持つ職責を担う。The CMO Club東京チャプター初代プレジデント、2023年10月より現職のアクセンチュア ソングへ。

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