自社の資産を活用した社会課題への取り組みが主流
田上:
今回、カンヌで私が非常に感銘を受けたのは、社会課題を考えている企業体やブランドが、あらゆるステークホルダーとのエンゲージメント(深い関係性の構築)を通じて、社会発想で企業のポジショニングを再構築していることです。自社の製品やサービスを売りたいから、後付けで社会課題を紐づけるのではなく、社会課題に対して、自社の製品やサービスの位置を修正してでも取り組んでいくという姿勢が見られたケースが続出していた印象で、一歩進んだのかなと感じました。
自社の持つ強みをうまく活用することで、多額の予算をかけることなく、社会課題の解決に貢献している事例として、ニューヨークのMETROPOLITAN TRANSPORTATION AUTHORITY(メトロポリタン交通局)が自社の地下鉄を活用し、ニューヨークの代表的なLGBTQ+関連の組織・団体 と共同で実施した企画「IN TRANSIT」をご紹介します。
ニューヨークの地下鉄の構内アナウンスを担当しているバーニー・ワーゲンブラストさんは、トランスジェンダーウーマンであることを公にされている方で、「トランスジェンダー可視化の日」に合わせて、かつての男性としてのバーニーさんの声と、トランスジェンダーウーマンとしてのバーニーさんの声による構内アナウンスを発信しながらバーニーさん自身のストーリーを伝えることで、トランスジェンダーの皆さんに対する差別的行動や暴力の減少を目指した活動です。
「トランスジェンダーを身近に知っている人は差別的な行動をしない」というファクトがあるのですが、地下鉄のホームで耳にするバーニーさんの声はニューヨーカーにとって最も身近な声の一つなので、実際にバーニーさんに会ったことがなくても、身近に感じますよね。バーニーさんの声を通して、「トランスジェンダーの人が自分たちの周りにいるのは普通だよね」という新しいパーセプションと、差別的な行動をしないというビヘイビアチェンジ(行動変容)を促す活動だったと思います。
これは自社のサービスを売るための社会課題の設計ではなく、真の意味での社会課題の解決のために、自社が持つアセット、つまりバーニーさんというトランスジェンダー本人の声による構内アナウンスというメディアを通じて伝えていった事例ですね。
エントリービデオの最後は、“Visibility is not just something that you can see, but something that you can hear.”(目に見えるものだけでなく、聞こえるものでも可視化はできる)という言葉で締め括られましたが、このビデオのつくり方も非常に参考になるケースだなと思いました。
嶋:
自社の得意技、身の丈サイズの中で社会課題を解決していく仕事が増えてきたと感じています。まさにこれは地下鉄という自社のアセットをフル活用していますよね。そもそも地下鉄の中には、色々な価値観を持つ人が乗っていて、その状況の中でバーニーさんのアナウンスを聞く体験を設計しているのもいいですし、いつも聞いている人の声で説明をうけると、人は「本当にそうだよね」と説得されやすい。社会課題と地下鉄という場がうまくマッチングしたなと思いました。
山口:
色々な方々が同じ構内アナウンスを聞く 地下鉄のホームという環境で、いつものアナウンスが違うという、この1点のクリエイティビティ。僕も素晴らしいなと思いますね。
他に日本のPRプランナーが学べるポイントはありますか?
他人事を自分事に変える憑依型のエンパシー力
田上:
このケースは地下鉄という公共交通を活用したものなので、企業や代理店の方からは特殊事例に見えるかもしれませんが、U.S. Bankの「TRANSLATORS」も近い事例じゃないかなと思います。
U.S. Bankは地方銀行の買収を機にカルフォルニア州に進出したのですが、ヒスパニック系の住民が多い カリフォルニア州では、英語を話す人が非常に少なく、言語に課題を持っている人が多いという実情があります。
そこで一家の中で子どもだけが英語を理解して、まだ10代前半の子どもたちが銀行手続きなどで、一家の一大事である家計問題を一手に担っている課題を可視化した映画をつくったわけです。移民に対するネガティブな感情が渦巻き始めているアメリカの中で、移民の視点に立って彼らの大変さを理解しつつ、融和していこうというメッセージを、映画を通してU.S. Bankらしく伝えていきました。
U.S. Bankは映画と同時に多言語アプリをつくったのですが、そのアプリを売りたかったというよりは、移民も、移民に反対している人たちも、どちらも自社に対する親近感を持ってもらいたいという意図で作成したと思うんですよね。自社が持っているもので、目の前にある社会課題をできるところから変えつつ、「みんなで一緒に取り組もうよ」という巻き込み型になっていたという意味では、参考になる事例ではないでしょうか。
嶋:
子どもが通訳しなきゃいけないという現実を取り上げた「TRANSLATORS」は、エンパシ―が発揮されているなと思っています。シンパシーとエンパシーは、ともに「共感」という意味ですが、ちょっと意味が違って、シンパシーは「あの人、素敵ね」という感覚的な言葉で、エンパシーは相手に寄り添うことで「一緒に行動を起こそう」という気持ちにさせる能力やスキルに近い領域の言葉なんですね。移民のシチュエーションを解像度高く理解しているこの企画は、かなりエンパシー力が高いのではと思います。
エンパシーが増すと、巻き込み力が高くなると思っていて。この仕事は「あなたたちの見えている世界はこうですよね」と丁寧に寄り添う、極論すると、憑依するぐらいの立ち位置で相手に接している。それがパーセプションチェンジ(認識の変化)とビヘイビアチェンジをすごく加速させる力になっているんですね。「PRパーソンに必要なのは、エンパシーだな」と、この事例を見てつくづく感じましたね。
田上:
PRパーソンに必要なのは、エンパシー。本当にそうですね。
山口:
やはり、自分事化して見られることが、PRパーソンのある種の資格のようなものなのかなと思いますね。
後編はこちら
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