ARとMAを組み合わせた販売予測モデルを構築
その後、「ミニッツメイド」という100%果汁のジュースを担当しました。AR(Auto Regression)モデルとMA(Moving Average)モデルを組み合わせた販売予測モデル(ARMAモデル:自己回帰移動平均モデル)を自分でつくり、膨大なデータの特性を理解したうえで商品ごとの販売予測モデルをつくり始めました。
週次データの時系列モデルで変数も6、7個と限定的なものでしたが、予測した4桁のケース販売数は実際のものと誤差レベルかドンピシャでした(複数の変数のプラスマイナスがあり、合計が合致しただけですが)。この経験のおかげで、後のベンチャー企業での階層ベイズを使ったMMM(Marketing Mix Modeling)やDP(Dynamic Pricing)のビジネスインパクトも理解できたのではないかと思います。
その後、ジュースカテゴリーを統括した後、コーヒーブランドの「ジョージア」のコミュニケーションを担当しました。月に1本程度のテレビCM出稿と年に2回の大規模消費者プロモーション、「ジョージアシティ」というブランドウェブサイトなどにかかわりました。
当時、Yahoo! JAPANのトップページのページビュー(PV)は14, 5億だったと記憶していますが、ジョージアシティは予約機能を持つ大手国内航空会社2社に続く1億PVを超えました。有能な外部スタッフのサポートもありましたが、ジョージアシティの運営の経験が、後のヤフーでのVP(バリュープロポジション)の取り組みやマーケティング本部長の仕事につながりました。
グローバルの人脈ができた!リーダーシップを学べるGEに転職
そして35歳のとき新たに転機が訪れました。コンシューマー向けの金融事業を展開していたGEコンシューマー・ファイナンスが銀行をM&Aするにあたり、そのブランディングをリードしてほしいと声がかかりました。GEは年間10億ドル規模で投資している人材育成の大半を世界初の企業内ビジネススクール「クロトンビル」研修所の運営に費やすほどだったので、リーダーシップを学ぶためのベストな会社だと考えました。
マーケティングコミュニケーション部長として入社し、その後に戦略企画部長の責務も追加されました。幸いにも毎年アメリカやシンガポールでさまざまなグローバルトレーングを受けることができました。世界各国からノミネートされた同僚と一緒にケーススタディを解いたり、GE内の実際のプロジェクトに数カ月かかわったりして、MBAの学びなおしもできました。
このときにできたグローバルネットワークや世界各国の人とリモートで共同プロジェクトを行った経験は貴重でした。統括する組織のメンバーが徐々に増えていったのもこの時期です。
結局、銀行のM&Aは実現せず、無担保カードローンの「ほのぼのレイク」を担当しました。超初歩的なMMMを自分で計算し、必要な投資額とその最適配分を導きました。それによるとSOV(Share of Voice、競合と比べた露出量)は新規申し込みに影響はありませんでした。
広告については一般的に、ある一定の投資額を超えると効果の上昇率は鈍化するものの上昇は続きます。ですが計算によると無担保のカードローンの場合、ある一定額を超えると効果はマイナスに転じることがわかりました。
その理由は、誰もが日々お金を借りて生活しようとは思っていないからです。仮に100がその分岐点だと計算できたとして、私は80までの投資予算の承認をリクエストしました。あまりお金を借りることを好んでいない日本の消費者は、その100を超えた時点から、「もう広告を見たくない」という状態になります。
そしてそれ以上の投資は必要なく、ブランド名やカラー、ロゴタイプの変更、有人店舗の閉鎖や無人店舗のインテリア変更、新規獲得プロモーションの変更などを同時に行ったことが奏功し、2年で新規申込数が業界1位になりました。そのためGEがGE Money(コンシューマー・ファイナンス)ビジネスを売却する際の予定額よりもかなり上振れして契約でき、買収チームからは新規顧客のポートフォリオの良さと新規獲得人数が大きな要因のひとつだったと聞きました。
オンラインのビッグデータとの出会い
GEの事業売却のときに、ヤフージャパンのVP(Vice President)とマーケティング本部長のポジションでお声がけいただきました。同時期に外資系銀行のCMOの話があったのですが、ヤフーは日本のインターネットのリーディングブランドで圧倒的なユーザー数を持っていたことから、同社を選びました。当時のヤフーのマーケティングデータ解析などは改善余地が大きくあり、「ジョージア」でのユーザー視点のサイト構築の経験を活かせることもその選択を後押ししました。結果として、45歳でCMOになるという計画を、実質的に5年前倒しの40歳で達成する形となりました。
驚いたことに、ログを全数で解析するにはデータを落とすだけで1日作業。計算する時間がかかるので、エンターを押した後の変更はまた1日待つという状況で、サンプル数を減らした解析しかできませんでした。今ではテクノロジーの進化により、そのような無駄な時間はほとんどなくなってきています。また、当時のメディア本部長からサポートをいただき、メディアとしてヤフーにおいて消費者調査を始めたり、初めてサービスにフォーカスしたショッピングのテレビCMを制作したりしました。
ヤフーを退職したあとどのようなキャリアを築いたか。次回最終回のコラムでお話します。