当初は会員制クラブの名称だった「くうねるあそぶ。」他、糸井重里さんに聞く名作コピーが生まれた現場(後編)

誰でも書けそうで書けない「とても普通のコピー」

おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。

(スタジオジブリ/映画「魔女の宅急便」/1989年)

谷山:9番目に紹介するのは、ジブリ映画『魔女の宅急便』の「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」というコピーです。もっと最近のコピーのような気がしていたのですが、あらためて見ると1989年のコピーだったんですね。

糸井:ジブリとの仕事は、新潮文庫の仕事がきっかけで始まりました。

映画『火垂るの墓』(高畑勲監督)は新潮社が、映画『となりのトトロ』(宮崎駿監督)は徳間書店が手がけ、2つの映画が同時上映されることが決まっていました。ジブリもいまのような組織ではなかったし、イニシアチブをどちらの会社がとるのか、お互いに遠慮しつつも、当然火花が散るわけですよ。そんなとき、僕が新潮文庫の仕事をしていたこともあり、2つの映画に共通するコピーと、それぞれの映画のコピーを鈴木敏夫プロデューサーから依頼されました。第三者でもある僕が入ることで、両社がもめなくてすむだろうという考えだったのかもしれません。何かあっても、あいつ(糸井)のせいですって言えるでしょう(笑)。

2つに共通するコピーが「忘れものを、届けにきました。」。『火垂るの墓』は「4歳と14歳で、生きようと思った。」、『となりのトトロ』は、「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」。この3本のコピーを完成させて、うまく話がまとまったこともあり、その後も僕がジブリのコピーを担当することになりました。『魔女の宅急便』は、その一つです。

当時、宮崎駿監督から聞いたのは、「東京で働くかっこいい職業の女の子たちの多くは地方出身で、そんな彼女たちを励ますような映画にしたい」という話でした。

映画が公開された80年代、ファッションブランドのショップ店員は「ハウスマヌカン」と呼ばれていました。彼女たちは若い女性の憧れの存在としてチヤホヤされていたけど、お昼には急いでほか弁を買ってきて食べているような日常もあったはず。そして、故郷にはお父さんやお母さんがいて、いろんなことがあって…。『魔女の宅急便』は、そんな女性たちを励ますような映画にしたいと聞いていたので、これについてはすぐにコピーが思い浮かびました。「ぼくは元気です」とはがきに最初から印刷してあるような、それに近い発想です。

谷山:このコピーも大好きなのですが、とても普通の言葉ですよね。どんな人にもある、普遍的なことである反面、あまりにも普通すぎるようにも感じて、もし自分がこのコピーを書いたら、どこかにひねりを加えたくなり、「これで完成だ」と確信できない気がするんです。でも、糸井さんは、このコピーをそのままスッと出したわけです。書き手としては、すごいことだと感じました。

糸井:それは、たぶん「勇気」なんだと思います。これを平凡だと感じること自体が病気と言うべきか、プロ目線なんです。

谷山:『もののけ姫』(宮崎駿監督/1997年)で糸井さんが書いた「生きろ。」は、もしかすると自分でも書けるのではないかと思えるところもあるのですが、「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」はコピーライターとしての“書けた感”が抜けきっていて、「これでいい」と思えるのはすごいことだなと。クライアントにずいぶん普通のこと書いてきましたね、と言われそうだし。実は、こういうコピーが一番すごいんじゃないかと思っています。

糸井:役者が「うまい演技でした」と言われるのと、「あれは簡単そうに見えて実は難しい、誰にでもできるようで、できることじゃない」と言われることってあると思うんです。それと同じような気がします。

ふつうのことをその場におけば機能するんですよということが言えるのは、自分がクリエイティブディレクターも兼ねているからですよね。これに関して言えばそんなに大げさなものではないけれど、多くの人に受け入れてもらえるコピーだとわかるから、素直に「これでいい」と思えるんです。

写真 人物 個人 糸井重里さん

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