参加者に自分ごとと感じてもらえる愛称を
横浜市主催による「よこはま子ども国際平和プログラム」は、1986年にその前身となる「よこはま子ども平和フェスティバル」がスタート。横浜市内の子どもたちが「国際平和のために、自分がやりたいこと」をテーマにスピーチをする「よこはま子ども国際平和スピーチコンテスト」を含んだいまの形になったのが、1998年。現在では、横浜市内の小学校・中学校・特別支援学校の約4万名の子どもたちが参加している。
本プログラムでは毎年、各学校でこのテーマに取り組み、学校予選、区予選会などを経て選ばれた代表者たちが、スピーチコンテスト(市本選会)に出場する。審査を経て市長賞を受賞した4名の子どもたちは「子どもピースメッセンジャー」として、また市本選会に参加した子どもたちは子ども実行委員として、みんなで平和についてのメッセージを作成。子どもピースメッセンジャーは、そのメッセージを伝えるべく、米国ニューヨークの国連本部などを訪問する。
「スピーチコンテストを開催し、選ばれた子どもたちをピースメッセンジャーとしてニューヨークに送り出すことはプログラムの大事な目的ですが、そこをゴールとして考えていないんです」と話すのは、横浜市教育委員会事務局小中学校企画課主任指導主事 兵頭律子氏。
「横浜に住む子どもたち一人ひとりが、国際平和について考える機会を持つこと。そして、そのことを考える過程を大事にしています。ニューヨークに行くのは代表の4名だけですが、彼らが現地で学び得たものは大きく、人生観が変わる子もいるほど。それを横浜の子どもたちにフィードバックしてもらうことで、それぞれが平和や世界についてより考えるようになり、自分でも何かやってみようと思うきっかけになればと考えています」
40年近くにわたって続けてきたプログラムで、横浜独自の取り組みとして誇れるものであるにもかかわらず、市民にはこの取り組みがあまり知られていない。また、学校によっても取り組みへの温度差があることから、子どもたちを中心にもっとこのプログラムについて知ってほしいと考え、横浜市教育委員会では今年度、プログラムのPRに力を入れて取り組むことにした。そのときに、横浜市教育委員会事務局プロモーション担当課長吉池玲美氏は以前一緒に仕事をしたクリエイティブディレクター/コピーライター 小藥元さんとディスカッションをする機会を得た。
「横浜市の皆さんは、いい活動だからもっと広めたい。そのためには、このプログラ ムにコピーのようなものが必要だ、と考えていらっしゃいました。そのお話を伺い、最終的にコピーが必要だと思いますが、その前にプログラムに愛称があったらいいのではないかと提案しました。子どもたちを巻き込むためには、まずそこを着手すべきである予感がありました」 (小藥氏)
「愛称を持つべきだ」と小藥氏が確信を得たのは、2024年ピースメッセンジャーに選 ばれた子どもたちへのヒアリングした時だった。
「彼らは単にスピーチコンテストに参加しました、ピースメッセンジャーに選ばれました、ということで終わっていないと感じたんです。能登半島へボランティアに行ってきましたという子もいました。つまり小・中学校のある時期、コンテストに参加したという瞬間の話ではなく、その後の人生において想いや活動は続いているんだということがわかり、そこまでを捉えた言葉を作るべきであると思いました。また2024年に 参加した子どもたちだけではなく、それ以前に参加した子も、これから参加する子もいる。それこそが横浜市にとって大きな財産と言えます。だからこそ、みんな をつなぐ言葉を考えたいと考えました」(小藥氏)
コンテスト名が長く、名前が覚えにくいことから、当初は愛称をつけることを考えて いたが、いろいろと検討をするうちに、子どもたちの一体感をつくるための「チーム名」を決めることになった。
「この件についてヒアリングをしたときに、子どもたちには『愛称』という言葉が少し難しく感じられたようで、『チーム名』という言葉を出した瞬間、彼らの中にスーッと入っていきました」(兵頭氏)
そうして生まれたチーム名が、「BLUE VOICE(ブルーボイス)」だ。「よこはま子ども国際平和プログラム」に参加するすべての児童生徒が、それぞれ違う学校に通っていても仲間意識をもち、行動した自分にいつまでも誇りをもつことができるように命名された。これは、小藥氏がプログラムに関連する授業を実際に見学したり、コンテストでの子どもたちのスピーチ動画などを見る中で生まれたチーム名である。
「まさに『声』だなと思いました。コンテストに出場した子どもたちは自分の声で発しますが、選ばれない子どもたちも作文として自分の声をかたちにしている。それを見たときに、ブルーボイス、『若き声』という言葉が思いつきました。
『よこはま子ども国際平和プログラム』は名称としては正しいけれど、これはあくま でも行政側の言葉。自分の言葉ではないんですね。授業の一環であることを超えて、 より自分ごと化・みんなごと化してもらうためには、ロゴのついたステッカーをかば んに貼りたくなったり、ロゴのついたボールペンを自慢したくなったり、視覚化して 表出していくことが大事だと考えました」(小藥氏)