出身地や高校・大学(さらに学部やゼミ)、新卒で入社した会社など、ビジネスパーソンは誰しも、複数のコミュニティに属しているものです。そうしたコミュニティの中でも、特に10代、20代の価値観が形成されるタイミングで出会った同志との関係は、その後の仕事に対する哲学にも影響を与えるのではないでしょうか。
本企画では、同じ高校や同じ大学のゼミで学ぶなど、実は同じコミュニティ出身で、現在は産業界で活躍されている方たちをお招きして、当時の思い出話から、現在のお仕事まで伺っていきます。
第2回は一橋大学の「竹内弘高ゼミナール」出身のお三方に集まっていただきました。
「一橋大学商学部・竹内弘高ゼミナール」編
古濱淑子氏(富士通 執行役員EVP Japanリージョン副リージョン長)
安達晃彦氏(小米技術日本 プロダクトプランニング本部 本部長)
常見陽平氏(働き方評論家/千葉商科大学 国際教養学部 准教授)
(左から)常見陽平氏、古濱淑子氏、安達晃彦氏
休講のお詫びにコーヒーとサンドイッチがずらり
――竹内ゼミではどのような研究・講義が行われていましたか。
常見:「Work Hard, Play Hard」(よく働き、よく遊ぶ)の精神を体現した、“知的な体育会系”のようなゼミでしたね。毎週、約40ページの英文を読み込んだ上でケースディスカッションをしたり、マイケル・ポーターの競争戦略論の本を輪読したり。企業から経営課題に関する宿題をいただき、競争戦略論の理論と、地道なリサーチにより足で調べた情報をもとに経営者にプレゼンするというプロジェクト活動もありました。
安達:大学2年のときに竹内先生の特別講義を受けて、衝撃を受けました。ありきたりな講義に退屈していた中、テレビ番組のMCのような話術とエンターテイメント性に引き込まれ「こんな先生が世の中にいるんだ!?」と(笑)。それで、竹内ゼミに入るために経済学部から商学部に転部したんです。
古濱:100人以上いるような講義でも、先生は学生一人ひとりの顔と名前を覚えてこられていました。学生のモチベーションを引き出して議論をファシリテートし、方向性を示す手腕はまさにプロフェッショナルだと思います。
常見:学生の発言を要約しつつ考えていなかった点をうまく指摘する、厳しくも優しい声掛けをしてくれましたよね。その絶妙なツンデレ感と、インタラクティブな90分の講義の組み立ては見事だった。
先生のプロフェッショナルを感じたエピーソードをひとつ。先生の講義「インターナショナルビジネス」が電車遅延で休講になり、その次週の講義に行くと机の上にドトールのコーヒーとミラノサンドがずらっと並んでいた。「前回の休講のお詫びです。授業料に損害を与えて申し訳ありませんでした」と(笑)。
――竹内ゼミはどのようなメンバーの集まりでしたか。
常見:個性の強い学生ばかり。当時の一橋大学の中では、外国人留学生が多いことと女性の比率が高いことも特徴でした。
古濱:1学年15人のうち、3分の1ぐらいは外国人でしたよね。
常見:インドネシア出身のムハンマド・アルフィアンさんが、ラマダンの期間で体力的にきつそうな姿を間近に見たりと、イスラム教徒の生活を肌で感じる瞬間もよくありました。
古濱:この前、アルフィアンさんに会いに行きましたよ。卒業後も連絡を取り合える仲間が世界中にいるのはいいですよね。
安達:僕もこの夏、家族旅行で訪れたマレーシアで、現地に住むヨン・コリンさんに会いに行きました。すごく歓待してくれて、自分の子どもにも「若いときに視野を広げる大切さ」を伝えられた気がします。
僕は正直、ゼミで具体的な知識やスキルが身に付いた記憶はあまりないんです(笑)。でも、海外をよく知る先生と多種多様なバックグラウンドを持った学生が集まった“ミニ人種のるつぼ”のような、互いの違いをナチュラルに受け入れられる環境で学べたことは何にも代えがたい経験だったなと思います。新卒で入社したソニーで、海外の販社の方々とグローバルビジネスに携わりながら「ゼミと同じことやってるな」と思ったんですよね。
常見:「Be different(他人と同じことをしない)」という教えは、竹内先生もゼミの皆も大事にしていた。学問的に何を学んだかよりも、その風土の中で育ったってことが大きいですね。
安達:一橋生は金融や商社に行くのが王道ですが、ゼミ生は就職先や進路も変わってましたよね。異質さを求めた人が多かったんじゃないかな。
常見:ゼミの大先輩の足立光さん(ファミリーマートCMO)は、P&Gが日本で新卒採用を始めたばかりの頃に新卒入社していたり。コンサル、ITなど含め外資系に行く人が多いのも、当時からすると珍しかったですね。
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