メンバーも認知する熱狂的バンギャ
「私のあだ名を考えてくれない?」
チハルは胸元の名札を指しながらド派手なヘアメイクの男に懇願する。素顔がちっとも想像つかない顔のまま、男はうーんとチハルのあだ名を考えている。
これこそビジュアル系バンドの女性ファン、いわゆるバンギャの間で知られる推しに認知してもらうテクニック。そして次のライブで推し考案のあだ名を書いた名札をつけていくまでがセットだ。遠征だとなお効果的。
「“ちはぴよ”じゃーん、こんな遠くまでわざわざ来てくれたんだね」
こんな感じですっかり顔なじみ。
チハルとバンドメンバーとのツーショット写真。撮影会では富士フイルムの「チェキ」を用いてその場で現像、推しから手渡しされる。メッセージが書かれることも(本人提供)
チハルが特に推していたバンドは『Divide(仮)』だ。
きっかけはヴォーカルが幼なじみだったこと。試しに近所のライブハウスに観に行ってみると、アマチュアながらもパワフルなステージ、メンバー自ら手掛ける詩曲に心を打たれた。チハルは他の観衆と同じようにCDを買い、チェキも撮った。
Divideはめきめきと頭角を現し、地元を飛び出し東京でのライブにも呼ばれることとなった。完全アウェーの東京、地元から来たファンはチハルのみ。それでもチハルは最前列でただひとり、全身全霊で応援した。
「デビュー当時から応援してきたから、私はDivideのお母さんみたいな気持ち」
Divideはファンを大切にしてきた。DMやリプにも丁寧に返信する。ファンの名前もしっかり覚える。その甲斐もあってか、Divideに魅了される人は少しずつ増えていった。ヴォーカルと幼なじみであることも後押ししてか、チハルは各メンバーとも親しくなった。そのせいで他のファンからやっかまれ、ネットで叩かれることもあった。ライブ遠征で放置してしまったことをきっかけに、付き合っていた彼氏とも別れてしまった。けれどいちいち気にしない。チハルはただ一心にDivideを応援した。
狭い世界ゆえ「推しの彼女」に
しかしある頃、Divideのメンバーがファンの女性と付き合うようになった。ファンとメンバーの交際など、この界隈では別に珍しいことでもないという。バンギャがファンレターに連絡先を書くなどよくあることだ。
でもその彼女は、メンバーの彼女という立場に過ぎないにもかかわらず、バンドのあり方にまで口を出すようになっていったという。
「今までのDivideと違う」
ずっと見てきたチハルが気づかないわけがなかった。明らかにDivideの目線が彼女にばかり注がれるようになっていった。
さらにライブの最前列を決める“最前交渉”や、応援の振り付け、ファンのグループLINEなど、Divideに関するすべてを彼女が仕切るようになっていった。
応援が彼女中心に回っていく。これまでのバンドの姿とかけ離れていく。チハルの心は少しずつDivideから遠ざかっていた。
厳しいまなざしでライブを見るチハル(筆者撮影)
そしてチハルは何も言わずに、ファンのグループLINEを退会した。後悔はなかった。ヴォーカルには仕事が忙しいから行けないとごまかした。
チハルは執着に意味などないと誰よりもわかっていた。子どもの頃、親とあまりうまくいかなかった。妹が難病で、家族の心配は常に妹にばかり注がれていた。親からの愛を諦めて、心の隙間を趣味で埋めてきた。大卒後に就いた医療職では、親しかった患者が目の前で突然亡くなることが日常だった。
「例の彼女の影響かどうかはわからないけど、ファンも減ってるらしい。女ごときで方向性をコロコロ変えるスタンスとか、どうかなって思う」