かつての推し 「逆最前」で見届ける
2023年の暮れ、チハルはDivideの出るライブハウスへと向かっていた。
チハルが今推しているバンドを含めた複数のバンドが登場するステージにDivideも呼ばれたという。よってDivideはあくまで“ついで”だ。生で観るのも4年ぶりだという。
「今日は“逆最前(最後列)”で腕を組んで見てやるから」
と強気のチハル。しかしチハルのカバンには、使い込まれ色褪せたDivideの公式タオルが括り付けてある。デビュー時に発売されたものだ。それをあえて持ってきたのも、チハルなりの矜持なのかもしれない。
客席エリアの端の方でじっくり演奏を聴いているのは出演予定の他のバンドだという。演者と観衆が平然と入り混じる空間だ。推しとファンの踏み込んだ関係が生じても不思議ではない。
その中にDivideのヴォーカルもいた。他のバンドの演奏中ではあるが、女性ファンらしき人と話し込んでいる。
チハルはそんなヴォーカルをずっと見つめていた。その理由を聞いてはいけない雰囲気さえあった。
ヴォーカルをずっと見ているチハル(筆者撮影)
会場内のファンらしき女性は数える程度。それとなくDivideの客が少ないことを指摘すると、チハルはうん、うんと途切れるように頷き「地方じゃいつもこんなもん」と呟いた。そのことには触れてほしくないようにもみえた。
すると突然、最後方にいたチハルの腕を誰かが勢いよく引っ張った。
「チハル久しぶり! 一緒に暴れよ!」
その人はかつてチハルと一緒にDivideを応援していた女性だった。会場の熱気も後押ししてか、久々の緊張感は全くない。チハルは彼女に押し切られる格好で前へと引きずり出されていく。
そして音楽とともに幕が上がり、まぶしいスポットライトに照らされたDivideが姿を現した。
次の瞬間、チハルは何事もなかったかのように突然音楽に合わせて踊り出した。こぞって髪を振り乱し、両手でバンドを仰ぐ。音楽を聴くというより、会場全員で一緒にパフォーマンスしているようだった。
演奏に合わせて踊るチハルやファンの女性たち(筆者撮影)
楽曲はほとんど切れ目なく続き、30分の演奏は息つく間もなく終わった。
「悔しいね、やっぱり体は覚えてるね」
息を切らしながら戻ってくるチハルは満足気で、突き抜けて楽しそうだった。奇しくもこの日の曲は、チハルがDivideを熱く見つめた頃のものばかりだった。
何度でも落ちていく
後日、なぜヴォーカルがファンの子と話しているのをずっと見ていたのか、チハルに尋ねた。
「あれ、ダメなの!他のバンドをちゃんと見て学ばなきゃ。バンド同士の付き合いもあるんだから。言ったら怒るだろうから言わないけどさあ」
やっぱりお母さんみたい、とチハルに言うと、どこか誇らしそうだった。
「あの後ヴォーカルに感想を送ったら、めっちゃ長い返事が来たの。30行も!」
チハルは一度もその言葉を口にしたことはないけれど、本当はずっと悔しかったのかもしれない。時間もお金もつぎ込んだ。恋人も失った。それでも一番親身になってDivideを応援してきた。だからずっとファンに誠実であってほしいし、彼女ごときで危うくなってしまうべきではない。
「これじゃまた、ライブに通っちゃうなあ」
上がったはずだったチハルの中で再び、熱い何かが燃え始めている。