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デザインの理想は、憑依できること
――前回、八木さんから“主観が重要”という話が出ましたが、お2人はどうお考えでしょうか?
南木:前回の「主観」の話はすごく共感するところがあります。僕自身は設計や建築のデザインの仕事をしていて、建築家や空間デザイナーは3つのタイプに分けられると思っています。
1つ目がアーティストで、いわゆるこの人の作品が欲しいと言われるような建築家やデザイナーですね。ただその場合、ともするとデザイナーに威を借りていることも多いので、企業とブランドにとってプラスになっていないんじゃないかと思うところがあります。
2つ目がエンジニア的で、求めるものを技術的に実現してくれる人たちです。それもある種、手や知恵を借りていることが多く、企業やブランドが自分たちで考えるものを超えられないことも多いのではないでしょうか。
そう考えたときに、我々エージェンシーが3タイプ目として何ができるかと考えると、依頼する人や協働する人の主観を取り込んでいくことなんじゃないかなと思います。
あたかもそのブランドや企業が、自分たちで空間をデザインしたかのように「憑依型」でデザインできることが一つの理想形だと思っています。真剣に考え、これが一番良いのでは?という主観を真剣にぶつけ合って形にしていくと意見が混ざり合い、どこか僕もデザインしつつ、企業やブランドの方たちがデザインしたような状況になっていくんです。その結果、それぞれの既存の枠を超えていくことにもなります。代理店の「代理」って、代わりにやるというよりは憑依していくといった意味合いがあって、そのアプローチが面白いんじゃないかなと思うんですよ。
南木さんが手掛けた「YEBISU BREWERY TOKYO Tap」
「Dentsu Hands and Heads」では、その主観の考え方や混ぜ方を伝えたいですし、そこに我々独自の方法論もあるんじゃないかと思っています。
――企業とデザイナー側それぞれの主観の境目がなくなるということですね。
南木:そうですね。それらが融合していった主観というか、主観自体のあり方を考えていくというのがブランディングの一つの方法なのかなと思っています。
八木:そこっていろいろなレイヤーがあるかもしれない。僕と南木が携わった仕事で「Pocky THE GIFT」のデザインがあるんですけど、その中には、もちろんポッキーの主観もあって、僕の主観もあって。スペースデザインは南木にやってもらったんですけど、まるで自分がデザインしたような気分になりました。そういった状態になると、すごくいい結果が出る気がします。あらゆるレベルでその融合が行われているのがいい状態ですね。
Pockey THE GIFT shop
南木:八木さんに憑依した部分とグリコさんに憑依した部分というのがあったんじゃないかな。一般的に、ハイブランドのようにお店の格が上がれば上がるほど、パッケージはあまり前面に出さないことが多いんです。だけどそのときはパッケージがすごくよかったので、前に出した方が面白いし、パッケージのポップさももっと生きると思ったので、ガンガン表に出していったんです。結局、最後には売れすぎて在庫がなくなってしまうなんてことも起きましたけど(笑)。
小柳:僕の場合はどちらかというと憑依というよりもチームで一つになるという感覚に近いです。
僕は「Dentsu Lab Tokyo」という、電通の中でもテクノロジーを武器にクリエイティブを提供するチームで研究開発をやっていて、例えばNTTさんと、ALSという身体の筋力が低下していく難病と向き合っているWITH ALSの武藤将胤さんと、三者で一緒に開発する「ALL PLAYERS WELCOME」というプロジェクトをやっています。すべての人がプレイヤーになれるということをコンセプトに、目線だけで操作できるUIやデバイスの開発を行ったり、寝たきりの方でもあごなど小さな圧力によって操作可能なコントローラーデバイスの開発などを行ったりしています。
昔は、対クライアントという立ち位置が強く、クライアントも「チームとなって作業する」ような働き方ってなかったような気がします。昨年のカンヌライオンズで行われた電通セミナーでのライブパフォーマンスでは、代理店もNTTさんも制作会社の方々も垣根なく議論し、いくつものトライアンドエラーを超えて、30分のライブパフォーマンスを成功させました。僕が提供する価値も、ただ単にアウトプットのアートワークを出すというより、チームが目標に向かって進むための、途中途中を導くアートディレクションが大切になってきているのかなと感じています。
――そのような変化が起きたのは、最近になってでしょうか?
小柳:もちろん社内では昔から同じようなことをやっていたとは思います。いわゆる発注を受けて、グラフィックやムービーの制作会社の方と制作します。ただ、クライアント側のクリエイターや研究者がいて、制作側のUIデザイナー、映像ディレクター、ハードのテクノロジスト、ソフトのテクノロジスト、音楽家、PRプランナーなど、それぞれのプロフェッショナルが膝を突き合わせて打ち合わせることは、日常的ではなかったと思います。特に僕は専門性の高いテクノロジー表現が求められる部署にいるので顕著に感じるのかもしれませんが、広告表現の拡張に伴って、どの現場でも少なからず感じます。ここ5年くらい、コロナ禍のちょっと前ぐらいからですかね。
TOKYO 2020のパラリンピック開会式、選手入場パートのアートディレクションを担当させていただいた際も、そこでのディレクションは個々のプロフェッショナルをどう束ねていくかというものでした。音楽表現も時間軸表現も含めた、すべての指針となるようなディレクションを描いていくみたいな作業が結果的に増えましたね。
チームでデザインするうえで、中庸になることが最もつまらない
――チームでデザインすると、意見をまとめるのが大変なイメージがあります。
南木:クライアント側からのオーダーのみで進めていくよりは、多様な視点を統合していくことで、総合的によくなるアウトプットができます。デザインってある種の矛盾を超えられるものだと思うんです。言葉は概念を扱えるので便利なんですが、矛盾を超えられないことって時々あると思うんですよ。例えばコピーやコンセプトだと、何人かの意見をまとめて一つのものにするってつまんなくなりがちだったりするんですけど、でもデザインはそうとも限らない。非言語だからこそ、相反することも実は形にできたりして、想像し得ないものが生まれるのがすごく面白いなと思います。
いろいろな部署の視点が混ざり合ったプロジェクトが増えていくことで、デザインのアプローチが変わってくる気がしています。
八木:チームでやるということを、みんなでわいわいアイディアを出し合って意見の間を取る、という意味に勘違いしちゃうとすごくつまんなくなる。やっぱり最後まで主観的になるというのはすごく大事。人数が増えるほど難易度が高くなり、シンクロ率が問われるので、本当に真剣勝負じゃないとその域までたどり着けないですね。だから、大きな仕事ほどすごい大変なんだろうと。
小柳:共通言語がない人たちの集まりで、唯一共通して見せられるのが1枚絵。みんなが「そうそう」と頷けるようなものを途中途中で見てもらうと、目指す視点が明確になるので、それはやっぱりアートの力でしかできないことだと思います。
八木:僕も「行くぜ、東北」の仕事で、ローカル線の写真を撮ったことがあるんですが、カメラマンに「こういう風に撮って」と言ってしまうと、カメラマンにとってもつまらないんじゃないかなという気持ちがありました。そこで、カメラマンに「天然のグラフィックデザインをつくろう」という話をしたんです。「天然のグラフィックデザインということ?」と思われるかもですが、案外ノってくれるというか、それを一緒に探していくことでお互いのモチベーションが上がったので、意外とそういう小さなスイッチなんじゃないかと思います。もし僕が、もっとこうやってと細かく指示していたら、ああいったデザインにならなかったんじゃないかな。チームで一緒にやるスキルという点では、そういった小さなことも結構大事にしているかもしれないですね。
「行くぜ、東北。」
ディレクターというと、全部指示する人みたいに聞こえるかもしれないですけど、意外とそうでもないんじゃないかな。
<Dentsu Hands and Heads 講座概要>
◯開講日:2025年3月25日(火)19:00~21:00
◯講義回数:全8回
◯開催形式:教室とオンラインを各回自由選択できるハイブリッド開催
◯詳細・お申込はこちらから
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