独特な一体感と言語化しづらいカルチャー
――印象的だった高校時代のエピソードはありますか。
中村:一高では、校長先生よりも応援団長が崇められる存在でした。朝会の校長先生の話が前座に感じるほどで、校長先生の話が終わると「団長入場!」と応援団が叫ぶと体育館の入口が勢いよく開いて、団長は太鼓の音に合わせて一歩一歩、ゆっくり壇上へ上がっていきます。その間は全生徒が直立不動で、その日いちばんの静粛な雰囲気で団長のお話を聞くんです。
ただ、3年生になると、その団長が自分のクラスメイトとして普通に教室で授業を受けているわけです。最上級生たちが「団長の言うことは絶対だ」という空気を醸成し、組織のトップである団長を立てて、支えていく。あの独特な一体感は、仙台一高ならではのものだったと思います。
応援団は崇められる存在だった(写真は副団長)
鈴木:言語化しづらいカルチャーがありますよね。4月の新任式のとき、新しい先生が挨拶を始めると、生徒全員で一斉に拍手と足踏みをして先生の声をかき消すんです(笑)。話が長いと「ピシーッ」と言って、話が終わったらやめる。こうなることを噂に聞いていた先生は、挨拶を一言だけにしたりと、そんなとんち合戦は毎年の風物詩になっていました。誰かが言い出したわけではなく、自然発生的に脈々と続いてきたユニークな風習はいくつもありました。
近江:先生たちは生徒と対等に接してくれていたように思います。
鈴木:先生たちの存在感が、良い意味で薄かったですよね。
「不統一の統一」からダイバーシティを学ぶ
――自由な校風は、どのように皆さんの仕事観に影響していますか。
鈴木:今の社会は、組織、個人ともに「責任」にばかりに焦点があたりがちですが、本来は「自由」も同じくらい大切なものだと思うんです。一高で学んだ「守りながら攻める」という「責任と自由」の哲学は、今の仕事にも活きていると感じます。
中村:印象に残っているのが、一高と二高の定期戦のときのこと。服装が自由な一高生に対し、二高生は制服姿だったので、当時1年生の僕が応援団長に「二高は一体感があるのに、一高はなんでこんなに自由なんですか?」と聞いたんです。すると「わかってねえな」と。「不統一の統一だ。全員が同じ色に染まる必要はなく、一人ひとりが自由であることを統一している。そこにこそ真の一体感と我々の強さがある」と言われたのを今でも覚えています。ダイバーシティに通ずるものがあり、多様性によって組織が強くなっていくことを大人になってから実感しましたね。
近江:普段はお互いをリスペクトしながら自由闊達に個人が過ごしている。だけどいざというときは塊になれる強さがあったよね。
後編に続きます

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