2024年12月の全日本選手権で、自身初となる男子シングル金メダルに輝いた鍵山優真選手。その輝かしい活躍の裏には、足元を支える「スケート靴の研磨職人」の存在があった。
選手の生命線 「刃」を磨く職人の仕事
「金メダル獲ってきます」
2024年12月11日、全日本選手権を控えた鍵山優真(かぎやま・ゆうま)選手(21)が、スケート靴の研磨職人のもとを訪れていた。フィギュアスケート靴は、靴底のブレードと呼ばれる刃が命。試合前にこのブレードを最高の状態に仕上げるには、研磨職人の存在が不可欠なのだ。
横浜市のスケートリンクの一角にあるスケート用品店。フィギュアスケートの靴やアイスホッケーの靴、練習用のウェアや小物などが壁一面に並ぶ7畳ほどの店内の奥に、研磨の機械が置かれている。
「試合前には毎回、靴の調整のためにここに帰ってきてくれます」
研磨職人の鷹取吾一(たかとり・ごいち)さん(36)は、2020年から鍵山選手のスケート靴のメンテナンスを担当している。鍵山選手やほかの選手からも「ごいちさん」と呼ばれ親しまれている、関西弁の気さくなお兄ちゃんだ。
鍵山選手は12歳から18歳まで、ここ横浜銀行アイスアリーナを練習拠点としていた。2022年、中京大学進学をきっかけに愛知県に拠点を移したが、その後も靴のメンテナンスのために、定期的に横浜のごいちさんのもとを訪れている。
「優真が初めて来てくれたのは、2020年。僕がもともといた大阪の店舗から、コロナ禍に横浜の店舗を任されることになって、しばらくして初めて優真の靴の調整をしました。話を聞くと、それまでは靴にあわせた滑り方をしていたみたいなんですけど、いろいろ話をしながら、骨格にあわせて靴を調整しました」
スケート靴は、ブレードと呼ばれる刃が命。スケートリンクには基本的にスケート用品店が併設しており、そこでブレードの研磨を行う。ごいちさんが働く小杉スケートは、1953年に大阪で創業した老舗のスケート用品店だ。ごいちさんが初めて鍵山選手の靴の調整をした数日後、電話がかかってきた。
「飛びやすすぎて違和感があるんですけどっていう相談でした(笑)」
鍵山選手が、父でありコーチの鍵山正和(かぎやま・まさかず)さん(53)にも相談すると、「じゃあそれでいいじゃん、何も考えずに4回転サルコウ飛べるならそれに越したことはないんじゃない?」とGOが出た。このときから、大きな試合の前は必ずごいちさんのもとに研磨に訪れるようになった。
「ごいちさんのこと信頼してるから絶対帰ってきますって言ってくれてるんです。こんなに嬉しいことはないですよ。優真みたいに練習拠点が浜銀(横浜銀行アイスアリーナ)から別のところへ移った子も、研磨をしにわざわざ僕のところにきてくれる。みんな浜銀ファミリーやと思ってるんで、帰ってきてくれるとたまらなく嬉しいっすね」
この日は、全日本選手権を9日後に控えた本番直前。鍵山選手から「いつもの研磨」を依頼された。7畳ほどの店の奥に置かれた赤色の機械で、20分ほど調整を行う。研ぎ石にブレードの爪先(トウ)側から反対側まで当て、一回一回研ぎ加減を確認する。機械での研磨が終わると、砥石を使って手で最終仕上げを行う。そのあいだ、鍵山選手と他愛もない会話が弾んだ。