鍵山優真のジャンプを支える研磨職人の情熱

研磨デビューは10歳 選手時代の苦労が今につながる

10歳のとき、1998年の長野五輪でスピードスケートに魅了された。地元鳥取県のリンクにはスピードスケートの教室がなく、フィギュアスケートを習い始めた。

「そのとき、スケート連盟の先生が自分で砥石(といし)を使って研磨をしているのを見て、あ、自分でもやってみようって思ってやってみたんです。地元には研磨をしてくれる方もいましたが、自分好みに研磨できるのが楽しくて、自分でやるようになりました」

手先はもともと器用なほう。試行錯誤しながら、自分にとって心地いい感覚を身につけていった。

写真 研磨歴26年

研磨歴26年。指先の感覚を頼りに、さまざまな番手の砥石(といし)で丁寧に仕上げていく

選手時代は怪我に苦しみ、スケートから離れた時期もあった。中学では骨盤と尾てい骨の骨折。さらに高校受験や大学受験でスケートを離れる期間もあったが、スケートをやめるという選択肢はなかった。

岡山県の大学に進学すると、岡山国際スケートリンクの近くに住み、スケートリンクでバイトを始めた。自己流で行っていた研磨の技術をさらに高め、靴の調整、リンクの製氷など、なんでもできるようになっていた。

「製氷して、朝練して、また製氷してから一限に行くって日もありました(笑)。朝練はどんなに早くても大丈夫だったけど、一限はキツかったですね。スケートは好きだったから、毎日が楽しかった」

大学卒業と同時にそのまま岡山のスケートリンクに就職。その後数年間働いたのちに、老舗・小杉スケートの梅田本店に転職した。

「選手の頃から研磨やメンテナンスはずっと自分なりにやっていましたが、本当に正しいのかと自信が持てなくなっていました。小杉スケートは、日本のトップスケーターが多く利用している。最前線で学びながら、もっと技術を習得したいと思ったんです」

 

次ページ「いい職人は、いい話し相手 内なる要望に応える」につづく

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