いい職人は、いい話し相手 内なる要望に応える
世間話で盛り上がりながらスケート靴の調整を進める。靴が古くなり数年ぶりに新しい靴の購入に訪れた女性の骨格を見ながら、靴底の適切な位置にブレードをネジで固定していく
ブレードの研磨だけではなく、スケート靴そのものの調整もごいちさんの仕事だ。
「人によって足の大きさ、形、厚みは違うし、O脚かどうか、左右差など、全てが違う。100人いたら100人、同じ調整をする人はいません」
一日中、ひっきりなしに訪れるお客さん。
小学校低学年の女の子が「研磨お願いしまーす」と話しかける。『はーい、いつまでに?』「金曜日」『いつも通りでええんかー?』「うん」『おっけー、また取りに来てな』
ごいちさんを頼るのはトップ選手だけではない。小さな子供や、大人になってスケートを始めた初心者など、スケートリンクの利用者すべてだ。
「予約制にすると選手からの予約だけで埋まってしまうので、一般の利用者の方の依頼を受けられなくなる。だから、きた依頼はなるべく受けるってスタイルでやっています」
小杉スケートは横浜店以外にも、全国に5店舗展開している。関東では明治神宮外苑アイススケート場の中にある神宮店、大阪には梅田本店を含む3店舗存在する。全国あわせて10人の社員とアルバイトスタッフが働く。利用者はごいちさんを指名で訪れる人も多い。ごいちさんは横浜店のほか、神宮店にもシフト制で出勤している。
小杉スケート横浜店にはトップ選手から初心者まで多くのお客さんが訪れ、和気あいあいとした雰囲気に包まれている。集中していると一日中飲み食いを忘れることもあるというごいちさん。ひとつひとつの研磨に心を込めて向き合う
夕方ごろふらっと立ち寄ったAくんは、ごいちさんとほかの利用者との会話に花を咲かせていた。
ごいちさん「え、いつの間に高校卒業してたの!?」
Aくん「おれバイトしてるよ」
ごいちさん「うそやろ!?」
友達と話すように盛り上がる店内。研磨の手が止まることはない。
Aくんがごいちさんと出会ったのは中学生のころ。
「基本、タメ口です。はじめは中学生なりにがんばって敬語使ってたんですけど、ごいちさんがそういうのいいから!って言ってくれて、それでいまこんな感じ」
Aくんはひと通りごいちさんと世間話をすると、「そろそろ帰ろっかな」と立ち上がる。「うい、気をつけてなー」と送り出す。放課後の教室のような空気感が漂っている。
「僕が見ている子たちは、足の感覚がかなり繊細な人が多い。スケートの感覚って説明が難しくて、トップ選手でもなかなか言語化できなかったりする。そういう子が僕のところにきて、ひと通り話すと、初めて理解してもらえました!って喜んでくれる」
三浦佳生(みうら・かお)選手(19)も、言語化できない感覚をごいちさんに理解してもらえたひとりだ。
「佳生くんはとくべつ繊細ですね。はじめて来たときは、靴の調整に6時間かかりました。調整して、滑って、調整しての繰り返し」
2022年の全日本選手権では、当日の朝、出発直前まで靴の調整をしていた。ブレードの位置から靴紐を通す順番まで、新横浜のリンクで新幹線の出発直前の時間まで調整してから送り出した。
2024年の全日本選手権に向けても何度か調整を行なっていた。
「この前は、靴のベロ(足の甲に当たる部分)がずれるとジャンプが飛びにくいという相談でした。ほんの少しの靴の変化でジャンプのタイミングに影響がでてしまうほど繊細なんですよね。ベロが動かないように靴を調整しました」
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