パブリック・リレーションズの草創期から国際的な発展まで、50年にわたるキャリアの中で、ジョン・W・ヒル(John W. Hill)は現代パブリック・リレーションズに多大な影響と革新をもたらしたパブリシストです。
1933年に設立したPRエージェンシー「ヒル・アンド・ノウルトン」の創始者としても知られています。なお、ヒル・アンド・ノウルトンはProvokeによる2024年の「世界PRエージェンシー売上ランキング」で15位に入っています(現在はWPPグループの傘下企業の一社で、現社名はヒル・アンド・ノウルトン・ストラテジーズ)。
特に、第二次世界大戦以降は政治・経済が急速にグローバル化を進める中、PR業界も国際的な対応を求められていました。彼は自身のPRエージェンシーを含め、パブリック・リレーションズの実務家たちの先頭に立って活躍し、パブリック・リレーションズの実務家たちの模範となってきました。
クライアントの広報幹部だったドン・ノウルトンと会社設立
オハイオ州クリーブランドで永年新聞記者としてのキャリアを積み重ねていたヒルは、1925年ごろ、アイビー・リーの著作『Publicity』を読み、大いに感銘を受けたと述べています。
彼は、「ニュースの管理は単に広報エージェントの仕事だけではなく、実際に会社の政策決定に密接に関係している(中略)。PRの仕事は単に話すだけでなく、実行することや行為することだ」とリーの考えに強く印象付けられていたようです。
1927年、ヒルはクリーブランドでPR事務所を開設し、1933年に彼のクライアントだった銀行の広報幹部を務めていたドン・ノウルトンと共同で「ヒル・アンド・ノウルトン」を設立しました。ノウルトンは最後までクリーブランドで活動しましたが、ヒルはエージェンシー設立の1年後にニューヨークに移り、クライアントの国際業務に拡大に伴うPR業務に対応しました。
ジョン・ヒル(右)とドン・ノウルトン
出所: Library of Congress
ヒルの哲学は、彼が活動を始めた当時と同様、今日でも十分に通用するものです。たとえば、ヒルはパブリック・リレーションズに不可欠な条件について次のように述べています。それは「誠実さと真実」、そして「広報活動に照らして見た政策、決定、行為の健全性」です。
ヒルは、公共の利益につながる政策や事業の説明と、その行為の健全性を、一般大衆が理解できる言葉で伝え、信頼を勝ち取り、受け入れられるために努力しました。
クライアントが公共の利益に反する方針を採用しようとしたら、どうする?
ヒル・アンド・ノウルトンは、第二次世界大戦以降、米国やヨーロッパの経済危機に伴うビジネス機会をうかがい、アメリカのPR会社として初めてヨーロッパに事務所を設立しました。この活動や実績が、後に続くPRエージェンシーのグローバル化の方向性を示したものといえるでしょう
ヒルは、その長年にわたる活動と高い倫理性をもって、業界のリーダーとして尊敬されていました。しかし、大手たばこ会社による業界団体(TIRC)設立時に、煙草業界の利害代表者として業界の地位向上のために広報活動を行ったことは、結果として彼のキャリアのなかで汚点になったと思われます。
彼は「現在のクライアント企業が公共の利益に反する方針を採用しようとする場合、コンサルタントはそのような方針に反対する助言を行うべきである。もしクライアントが一歩も引かないようなら、担当を辞することも考えなければならない」と述べていますが、TIRCへの関与について尋ねられたヒルはコメントを控えたと言われています。
ヒル・アンド・ノウルトンは、世界最大級のPR企業のひとつとなり、政治・企業の両方に影響を及ぼす広報活動をおこないました。
企業イメージの向上だけでなく、ロビー活動や危機管理の手法を確立し実践しました。ヒルは、単なる広報業務を超えて企業の世論操作や政治的影響力を駆使する手法を開拓した人物としても知られています。
