「ゆる友」は変顔までさらけ出せるほどの関係じゃない
=たばこを吸っていることは「ゆる友」にはあんまり知られたくない。
=面白いからみんなにシェアしたいけど、ちょっと下品なので「ゆる友」には見せずに、身内だけにとどめたい。
なるほど。たしかに関係性の薄い友達、「ゆる友」には見せたくないかもしれない。そうなると、若者がアカウントを使い分ける深層心理が気になってくる。
アカウントの使い分けに見る若者のウチ・ソト感覚
本アカは、キャンパス内での「広い自分の印象づくり」のためだったり、きれいな写真を思い出としてとっておく用。基本的には当たり障りのない写真しか載せません。
サブアカは友達とのコミュニケーションだったり、「等身大の自分を残しておくアルバム」のような役割のイメージです。
高校のときはインスタグラムはアカウント2個だけだったけど、大学に入ったら交流関係が良くも悪くも広く浅く広がったので、使い分けていくうちに3個持ちにたどり着きました。
大学に入り友達や参加するコミュニティが増えた結果、Z世代の大学生にとって、インスタグラムの本アカとは「デジタル上の公共空間」なのだ。「よっ友」「ゆる友」には、当然見せたくない写真もある。そのため若者たちは、等身大の写真を、好きなだけ、仲のいい友達にだけ見せるための「サブアカ」を持つ。
本アカがオシャレさ重視なのに対し、サブアカは、何も気にせず自分が載せたいものを載せる人が多いのだそう。仲のいい友達にしか見せられないような酔っぱらった姿や、下品だけど笑えること、悲しかったことの共有など、サブアカは、友達とのコミュニケーションに使う。デジタルネイティブの彼女にとって、本アカ=公共空間であり、サブアカ=私生活空間なのである。
交友関係やコミュニティが増えているからこそ、アカウントを分けて自分のアイデンティティを複数に分け、分立する。この公共空間の配慮意識や人格の分立の器用さが、アラサーの筆者の感性からすると大きく異なり、今風に感じるのである。
