高崎氏は1993年に電通に入社。クリエイティブ局で数多くの広告を制作し、2010、13年に続き2023年に3度目のクリエイター・オブ・ザ・イヤー受賞をはじめ、国内外での受賞多数。小説や絵本の執筆、そして2024年に共同脚本・プロデュースで参加した映画『PERFECT DAYS』が、第96回アカデミー賞で国際長編映画賞にノミネートされるなど、広告にとどまらない活動を続けてきた。
今後、高崎氏は電通とは新しいかたちでパートナーシップを組み、広告にとどまらない活動を行っていく考えだ。今回、新しいスタートを切るまでの想いや考えをコラムとして寄せてもらった。
卒業や独立という言葉が、あまりしっくりこないのですが
―― クリエイティブディレクター高崎卓馬の現在地(文:高崎卓馬)
高崎卓馬氏
独立を決めて、その報告を理由にたくさんの人に会うことができた。
それはとてもいい時間だった。
戦友のような人たちや、尊敬する他分野の人たち、
僕をこの世界に引き入れてくれた憧れの人たち。
内容を告げずにアポをもらおうとすると、
ほとんどがそうとわかって時間をくれた気がする。
みなさん感傷的なことは一切言わずに
今の時代をどう感じているか、これからどうなっていくのか。
何を私たちが失い、そのかわりに何を得ようとしているのか。
それぞれの場所で生々しく感じていることを教えてくれる。
こういう節目だから特別にね、という感じで。
その有難い話を聞きながら、どうして自分がこういう判断をしたかを
まるで逆に解説してもらっているような気持ちになっていく。
不思議と言葉は違うけれど
みなさんがどこか似た話をしていることに気がついた。
これからは個やプロジェクト単位の時代になる。
それが豊かなものであるためには
外にあるネットワークとのつながりが必ず大切になる。
幸せってそのつながりのことかも知れない。
というものだった。当たり前のことのように聞こえるかもしれないけれど、
この身でそれを経験しようとしているタイミングだから、妙に響いた。
コロナは僕たちの価値観を一気に動かした。
全員が無関係でいられないこの体験でしかできないことだった。
リモート環境の充実は身体にいろんな変化を感じさせて、
いつのまにか「組織とネットワーク」の価値の違いを生んだのかもしれない。
ネットワークとは外にあるもので、組織にいてもそれはできる。
むしろその意識をもって組織にいるととても大きな力になる。
ネットワークと健康に接続していると、
自然と情報が入ってくるようになる。
それは相談という形になることが多い。
そのあとのその人は、自分でも何かを確認するみたいにこう言った。
その状態を維持するために必要なことはなんですかと聞いてみると、
「いい仕事するしかないね」と笑われた。
相談とはこの人ならなんとかしてくれると思える相手にするものだ。
信頼はいい仕事からしか生まれない。
そういえば8年ほど前に、僕が天才だと思っている技術者のひとが、
未来の重要な鍵は「トラスト」だ。それで社会を再構築できる気がしている、
と言っていたこと思い出した。そのときは何を言っているのか
10%も理解できていなかったが(今もあやしいけれど)。
たしかに「相談」ほど濃密な情報はない。
そこには課題や希望や現実が含まれているし、
それをなんとかすると感謝が生まれる。
感謝は信頼を生み、そして機会をつくる。
その関係を重ねた先にしか到達しないものがある。
これからの自分が大切にしなくてはいけないものを、
教えてもらった気がする。
30年以上前にこの業界に入ったときから、
自分の意識は変わっていない。
何かを相談されて、それを解決したいと願い、
今の自分にできる最高の答えを探す。
それを誰かが広告と呼んだり、小説と呼んだり、映画と呼ぶ。
そんな感じでいい気がしている。
マスという相手がいなくなって、
テレビという華やかなリングが消えて、
コミュニケーションの可能性は無限になった。
そのことに自分らしく素直に対応しようと思う。
55歳クライシスという問題。
同じ世代の戦友たちに話にいくと
頑張ってそれなりに結果を出してきたひとになればなるほど
50代後半になってみな似たような不安をもっていた。
それは僕も同じなんだけれど。
話をしているうちにあまりにみんなが同じだったので
それを冗談めかして「55歳クライシス」と呼ぶようになった。
55歳くらいになると風景が急に変わるのだ。
60歳がリアルになって、その先のモヤが気になるのだ。
でもそれをどうしたらいいかわからないし、
そのことを考えるほど暇でもない。
ただ漠然とした不安が塵のようにつもり
誰かの独立という振動で、塵が動いてそのことに気づき不安を覚える。
これは社会のシステムの問題のような気がする。
みんな若くなっているのに、
システムがその若さに対応していないしする気もない。
ある日急に自分でなんとかしなさいと言われるような気がする。
これは大きな課題だと思った。
とくに頑張っているひとほど不安は強い。
40代には感じることのないものだ。
うーん。
責任感が源になる。
「やったことがないこと」をやるときに必ず声をかけて
最初に仲間になってもらっていた矢花宏太という男と
同じ船で海にでることにした。
彼は若い。そして責任感が強い。
彼をみているとその責任感というのがいかに大切か教えられる。
逃げない人がプロジェクトにいてくれる安心感は
アウトプットの質を格段にあげる。
質を下げずに、速度をあげる努力をしつづけるから
一仕事するたびにプロデューサーとして成長していくのが目に見えてわかる。
彼のプロデュースをみているとその人柄もあって、
なんだかわからないものを、なんだかわからないタイミングで
「相談」されることが多い。
それはどこか30年以上前に電通に入ったときに
めちゃくちゃ格好よかったあの先輩たちの姿に重なる。
プロデューサーというより、パートナーに近いね、と話をしていて
彼の会社には社名にパートナーとつけることにした。
ふたりで新しい場所にいくと、
共有してもらった相談を僕が企画に変える瞬間がよくある。
その瞬間を目撃した彼が、実現するための骨格と課題を瞬時に考える。
その速度と、純度が、僕たちの力かもしれない。
たくさんの先輩たちの総合体が自分。
この独立を決心の大きな理由に、大島征夫さんの存在がある。
長島茂雄のように謎の言葉で鮮やかに僕を導いてくれて、
彼の築いてきたネットワークを惜しげもなく使わせてくれて
そして表現の挑戦を無限に応援してくれた。
その彼が亡くなる数日前に僕を呼んだ。
手ぶらでくるな、企画かコピーをもってこい。
そう連絡が来て、僕は大きな紙にそれを出力してもっていった。
ダメなコピーに×を大きく書いて
昔と変わらずダメだしをする。
いくつかのコピーをみて「めちゃんこいいな!」と大きな声をだす。
そしてうれしくなったらウイスキー飲もう、と笑う。
「いい企画みたら、めちゃ元気でるんだよな、高崎、わかるよな?」
痩せた大島さんがいつもみたいに、小さく照れを隠す。
わかります。めちゃんこそれ、わかります。
多少の風邪なら治っちゃうもん。
僕らはやっぱり、その瞬間のために生きている気がする。
その瞬間を、これからも、できるだけたくさん。
そしてその歓びをできるだけ多くの仲間たちに。未来の仲間たちに。
そう心から思います。
この4月からの僕ら会社の名前を、
Writing&Designとしました。
書くことと、描くことが自分の原点です。
そのふたつの足でどこまで行けるか。
80歳になってもまだ世界を旅して
映画をつくりつづける本物のコスモポリタンで
僕の人生を変えた父のような存在、
ヴィム・ヴェンダースとドナータ・ヴェンダース夫妻の
イニシャルがW&Dなのは偶然です。
みなさま、
なんだかわからないものがあるときは
ぜひ私たちのことを思い出していただけたら。
ロゴ&ロゴタイプ:植原亮輔(KIGI)
