Q1:現在の仕事内容について、教えてください。
はじめまして、宮城県栗原市役所の伊藤宏文と申します。
最初に、栗原市のことを簡単に紹介させてください。
宮城県北部に位置する栗原市は、県内最大の約805平方キロメートルの面積に、人口約6万人が暮らし、今からちょうど20年前に平成の大合併で誕生した市です。
山間部から平野部までの広大な市内には、伊豆沼と内沼があります。この2つの沼は、特に水鳥にとって世界的に重要な湿地を保護するラムサール条約の登録湿地になっています。この沼は合わせて、東京ドーム約87個分の大きさがあります。夏は、自生するハスが沼一面にピンク色の花を咲かせ、秋から冬にかけて、マガンなど約20万羽が越冬のためシベリアから渡って来ます。その他、神のじゅうたんと称される栗駒山の紅葉など、豊かな自然が人を魅了します。
また、東京駅から新幹線で2時間とアクセスも良く、昨年、移住雑誌を手掛ける出版社が発表した「住みたい田舎ベストランキング」では、人口5万人以上10万人未満の市の総合部門で日本一に選ばれるなど、人気の移住先として、注目が集まっています。
私は、この栗原市で広報業務全般を担当しています。具体的には、毎月1回発行する「広報くりはら」の企画・取材・編集、業務全般の進行管理、SNSの運用など、広報全体にかかる業務を担当しています。
Q2:貴組織における広報部門が管轄する仕事の領域について教えてください。
私の所属する市政情報課では、毎月1回発行する「広報くりはら」の企画・取材・編集、市公式SNSの更新、市ウェブサイトの管理の他、市民の意見や要望を聞く広聴、さらには、統計調査などを担っています。
Q3:ご自身が大事にしている「自治体広報における実践の哲学」をお聞かせください。
私が大切にしていることは2つあります。
1つは「今の自分だから、書ける記事がある。だから、今、ベストを尽くすこと」です。
私は、20数年前に初めて広報担当になって以来、さまざまな部署で経験を重ねてきました。公務員の場合、人事異動は転職したくらい、業務の内容が違う場合がよくあります。そのような中で、昨年春に3度目の広報担当として着任しました。
もちろん、その間、年齢も重ねています。そして、それは、経験を積み、今の自分だから見える物事の範囲や深さがあるということです。また、反対に、今の自分には、過去の自分が書いた記事を書こうと思っても、当時と同じ感覚や気持ちでは、書けません。「今の自分だから書ける、精いっぱいの記事を書くこと」。この向き合い方を大切にしています。
さらに、もう1つ。それは「広報が変われば、人が変わる。人が変われば、まちが変わる」。この思いを大切にしています。
「広報くりはら」は、毎月特集を組んでいます。その特集で紹介した人に共感する応援者が現れ、さらに活動が加速していく様子を目の当たりにすることがあります。例えば、今年の1月号に掲載した子ども食堂の特集では、人手不足に悩むNPOを手伝おうとボランティアが増え出し、さらに、その活動を後押しするため他の団体が連携を始めるなど、応援の輪が広がっていきました。
私は、このように、まちが実際に動き出すかどうか、そこに注目しています。つまり、行政からの「お知らせはした」という広報紙では、当然、まちは動き出しません。また、そのような記事は、読まれない広報紙を作ることになってしまい、広報紙の役割を果たすことができません。広報紙は、あくまでも「伝える」ではなく「伝わる」が大切だと思っています。
どうしたら読み手である市民に伝わるのか。それは「伝わる」を意識して、市民の立場で記事を整理し、書くことです。広報マンの意識と行動が変わること、そして、市民の「納得や共感」が加わったとき、市民が動き出し、まちが変わるのだと思います。
特集など、広報紙で取り上げた人の活動に共感し、その人を応援する人が増え、また新たな活動につながっていく。そのような光景を目の当たりにすると、改めて広報は「まちづくりの仕事である」と実感します。そして、それは、広報という仕事に出会えたことを心から感謝する瞬間でもあります。
Q4:自治体ならではの広報の苦労する点、逆に自治体広報ならではのやりがいや可能性についてお聞かせください。
自治体では定期的に人事異動があります。そのため、ノウハウの継承が一番苦労する点です。広報の業務は、記事の書き方、レイアウト配置の考え方、撮影機器の操作、写真のイロハなど、専門性が求められます。新たに異動してくる人も、ノウハウを持たない人がほとんどです。
そこで、私は、昨年8月、市の広報担当研修と併せて、県内自治体の広報担当者研修会を開催しました。ノウハウの継承は、どの自治体も共通した課題と思ったからです。また、広報には、共に励まし、競い合う仲間が必要だと思っています。それには、理由があります。
私は、2回目の着任となったときのこと。市の広報担当として務めた4年の任期のうち、広報の業務を共に悩み、励まし合った仲間たちがいました。それは、県内や隣接する岩手県の広報担当者にも及びました。そして、そこで、まぶしいほど輝き、追い駆けたい先輩広報マンの背中を見ました。
他の自治体の広報担当者も、同じような気持ちと課題を持ち、業務に当たっている。「この苦しい思いは、自分だけじゃない」。そのことを肌で感じ、前に進む原動力になっていました。
そして、昨年、主催した研修会に参加した1人から、「同じ思いを持った人たちがいることを知り、もう少し頑張ってみようと思う」。その言葉を聞き、開催の意義を改めて感じました。
私に、これまで広報のノウハウを教えてくれた先輩広報マンはこう言います。ごみの減量を考えた場合、1つの自治体が減量できても、その効果は限定的。しかし、その自治体の周りの自治体も含めてごみの減量ができれば、大きな成果が出る。だから広報の連携が必要なのだと。
「広報が変われば、そこに住む人が動き出し、まちが変わる」。広報の持つ力が点から面になったとき、きっとたくさんの笑顔が輝く地域が増えるに違いない。広報の持つ力と可能性を信じ、仲間たちと共に、今日も1文字、1文字に心を乗せて歩んでいきたい。
【次回のコラムの担当は?】
宮城県涌谷町役場企画財政課企画班の金野 暁さんです。
