第三者委員会の報告書で指摘された、「ハラスメントの蔓延」
1月の「紙芝居会見」で始まったフジテレビのCM減少。2カ月を過ぎても事態は収拾せず、一時期はACジャパンだらけだった広告枠が、最近は自社の番組や映画の宣伝で埋め尽くされています。
そんな中、3月27日に経営刷新が発表され、旧取締役陣は金光修氏と清水賢治氏以外全員退任。何かと噂に上る日枝久氏も取締役相談役を退任しています。この経営体制の変更は、わかったようでよくわかりませんでした。誰かが何かの責任を取っての退任なのか、何なのか。経営刷新は私も必要だと思ってはいましたが、趣旨が曖昧に思えました。退任した人びと、中でも日枝氏が「かくかくしかじかの理由で退任します」と世の中にアナウンスする必要があったと思います。
そして3月31日には第三者委員会の報告書が公開されました。私は正直、この調査結果は儀式的なものだろうと捉えていました。調査着手がアナウンスされた時には、中居正広氏による女性への性被害が疑われた飲み会に、フジテレビ幹部社員の関与はなかったと、当初スクープした週刊文春が「訂正」していたからです。疑惑を報じた週刊誌がすでに訂正したことを、調査して何がわかるのか。
報告書では、何がどころかフジテレビでのハラスメント蔓延が詳細な調査内容とともに明らかにされていました。そして性被害の疑いは明確に「性暴力」と定義され、「業務の延長線上」で起こったと認定されたのです。週刊文春は、事案の数日前のバーベキューに幹部社員は関与しており、その延長線上の性被害と主張していました。
第三者委員会は同じ「延長線上」の言葉を、「業務の延長線上」と枕詞を変えて会社の責任だとずばり指摘したのです。そのロジックの見事さ、みんなが気づいていなかった会社の責任と性暴力の関係をはっきり提示したのです。
さらに「類似案件」として過去のセクハラ事件を掘り起こし、そのエグい詳細を書き記しています。女性社員を、著名な芸能人の前に「置き去り」にしていたこと。BSのニュースキャスターのセクハラを会社として隠そうとしたこと。そんなことを公然と行った人びとが出世しているのだから、「ハラスメントが蔓延」していると言われても仕方ありません。抗弁しようもないでしょう。当時の港浩一社長ら経営陣は「適正な経営判断を行うための知識、意識、能力が不足していた」とまで書かれています。報告書の内容は、そう書かれて当然の事実ばかり。ぐうの音も出ません。
27日の経営刷新発表は、多くの識者が評価しました。これで一歩前進に見えました。やっと息ができる水面に浮上した感じでした。でも報告書がまた水面下に引きずり戻してしまいました。第三者委員会の会見に続いて清水賢治社長が今後の施策を発表し、よくできたプランでしたが、再び水面下に引き戻された状況で、いったいこのプランの効力が明らかになるのはいつなのだろうと思いました。
フジテレビ問題が教えてくれる、メディア企業にとっての「信頼」の重要性
私は31日の夜、会見を見ながら初めて、フジテレビは水面より上に戻ってこれないのではと本気で思いました。もう、再び息ができる状況にはなれないのではないかと。「人権侵害の疑いがある企業とは取引できない」から多くの広告主はCM出稿をやめました。疑いは事実と認定され、しかも「蔓延」していたのです。セクハラした人物がニュースキャスターとして出演していたのです。「人権侵害が蔓延している」メディアとはつきあえないでしょう。そして問題は、何がどうなったら「もう人権侵害してません」と言えるのかわからないことです。人権侵害を計測する手段はなく、示しようがありません。あそこまで書かれた企業風土を一新するのは3カ月やそこらでは無理でしょう。半年、いや一年は優にかかるのではないでしょうか。
果たしてフジテレビは一年も呼吸せずに生きていられるのでしょうか?
「信頼」とは、あやふやなものです。でもきわめてデリケートで、一度壊れると修復は難しい。いや、壊れた信頼はいったい修復できるのでしょうか?恋人や夫婦同士なら、誠心誠意相手に愛情を伝えるのでしょう。BtoB企業なら特定の取引先に誠意を示すことになる。でもメディア企業は、視聴者、つまり日本に住むすべての人の信頼と、広告主、つまり一定規模以上のすべての企業の信頼を取り戻す必要があります。
番組を通して会社の風土はどうしたら示せるのでしょうか。メディア企業にとって「信頼」がどれほど価値があるものか、フジテレビ問題は教えてくれます。
そして、「ハラスメントの蔓延」はフジテレビだけの問題でしょうか?他のテレビ局、キー局だけでなく関西や中京地区、日本中のテレビ局にはないことでしょうか?
そう言えば、少し前に最大手の広告会社でも自殺者が出ました。あの時、業界全体が変わらねばと反省した気がしましたが、具体的な改善は行われたのでしょうか?
業界の人間だといい気になっていた私たちみなにナイフが突きつけられている
「業界」という言葉はどの業界でも使いますが、メディアや広告業界で使われる時は特殊な光を帯びているように思います。一般企業とは違うのだと、どこか創造的で時代の先を行く、おしゃれで洗練された世界として、私たちは「業界」という言葉を使ってきました。そこは特別な世界だから、とりわけ飲食も毎晩楽しみ、ともするとセクシャルな雰囲気も漂う。そこに、ハラスメントの落とし穴がたくさん掘られていたし、誰かが足を突っ込んでも「まあまあ」と済ませてきたのではないでしょうか。
あの第三者委員会の報告書を、まったく他人事として読んで「フジテレビってひどいねえ」と自分は違うような顔で語っていないでしょうか。そこにこそ、落とし穴があるのです。あの報告書は、自分たちについて書かれた文書かもしれない。だって業界人はなんであんなに飲み食いが好きなのでしょう。高級なお店に詳しい顔をしたがるのでしょう。最先端のファッションに身を包みたがるのでしょう。そんな虚栄心の裏にこそ、落とし穴が潜んでいます。
私たちは、ナイフを突きつけられたのです。だいじなだいじな「信頼」を壊すぞと、脅されているのです。フジテレビだけではありません。芸人をただ集めただけのくだらないバラエティ番組の作り手にも、コタツ記事でPVを稼ぐことしか頭にないネットメディアにも、人びとをフェイクニュースで混乱させても平気なプラットフォーマーにも。
どんなに大手で巨大でも、ガラスのように繊細な「信頼」が壊れてしまうとひとたまりもない。消えてしまうのかもしれない。そんなことにも気づかず、業界の人間だといい気になっていた私たちみんなにナイフが突きつけられている。あの第三者委員会報告書はそれを教えてくれているのです。
