ラジオの戦時特派員を経て活躍、米国TVニュースキャスターのパイオニア

アメリカの全国テレビ放送 初の「司会者(アンカー)」に

写真 人物 ダグラス・エドワーズ(1890~1977)

ダグラス・エドワーズ(1890~1977)

ダグラス・エドワーズ(Douglas Edwards)は、アメリカの著名なニュースキャスターであり、テレビニュース放送の先駆者として知られています。

オクラホマ州エイダで生まれ、アラバマ大学、エモリー大学、ジョージア大学で教育を受けました。1942年にCBSに入社し、第二次世界大戦中はロンドンでCBSラジオの欧州特派員だったエドワード・R・マローと共にラジオの戦時特派員として活動しました。

帰国後、CBSラジオでニュースキャスターを務めていた後、エドワーズは急速に拡大していたテレビという新しいメディアに進出した最初の主要な放送ジャーナリストの一人となりました。彼はまた、アメリカのネットワークによる全国放送の定時ニュース番組において、最初の「アンカー(司会者)」として広く認識されています。

冠番組が東海岸と西海岸で同時放送

写真 人物 ダグラス・エドワーズ

1948年5月3日、エドワーズはWCBS-TVを含むCBSテレビネットワークで、毎晩15分のニュース番組『CBS Television News』のアンカーを務め始めました。この番組は平日の夜7時30分から放送され、キャスターを起用した初のネットワークテレビのニュース番組でした。

1950年、夜のニュース番組は『ダグラス・エドワーズ・ウィズ・ザ・ニュース』と改題され、翌年9月には、新しい同軸ケーブルの設置により、東海岸と西海岸で同時に放送される初のニュース番組となりました。

その後『CBSイブニング・ニュース』へと進化し、1963年にはウォルター・クロンカイトがエドワーズの後任としてアンカーを務め、30分番組に拡大され、人気を博しました。

エドワーズは1962年に夜のニュース番組を退いたものの、その後も四半世紀にわたりCBSに在籍し、ラジオや昼間のテレビ番組でニュース報道を行い、ニュース特集の編集なども担当。そして1988年4月1日にCBSを退職しました。

2006年にはラジオの殿堂入りを果たす

1962年にウォルター・クロンカイトにアンカーの座を譲った後も、エドワーズはCBSで『ザ・ワールド・トゥナイト(The World Tonight)』のラジオ番組を22年間にわたり担当しました。

さらに1988年に引退するまで『ニュースブレイク(Newsbreak)』、『フォー・アワー・タイムズ(For Our Times)』、『ミッドデイ・ニュース(Mid-Day News)』などのラジオ・テレビ番組で活躍を続けました。

エドワーズはその長年の功績が称えられ、1991年に全米放送事業者協会(NAB)から「放送の殿堂(Broadcasting Hall of Fame)」に選ばれました。また、2006年には放送通信博物館(The Museum of Broadcast Communications)の「ラジオの殿堂」(Radio Hall of Fame)入りを果たしています。

エドワーズが担当した初期のCBSラジオおよびテレビのニュース番組の多くは保存されており、彼が第二次世界大戦中に司会を務めた『ワールド・ニュース・トゥデイ』や、ノルマンディー上陸作戦(D-Day)の放送、さらには豪華客船アンドレア・ドリア号沈没の報道なども含まれています。

放送ジャーナリズムにおける数十年にわたる貢献に対して、エドワーズは多くの同僚や専門団体から数々の賞や称賛を受けています。

advertimes_endmark


河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)
河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ140社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2600本を超えた(2024年12月31日現在: 2618本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。PRSJ認定PRプランナー(登録番号00279)。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

河西 仁(ミアキス・アソシエイツ 代表)

かさい・ひとし/ミアキス・アソシエイツ 代表。10年にわたる外資系メーカーでの国内広報宣伝部門責任者を経て、1998年8月より広報コンサルタントとして独立。以来、延べ140社以上の外資系IT企業をはじめ、ITベンチャー各社の広報業務の企画実践に関するコンサルティング業務に携わる。メーカーでの広報担当時代(1989年~)から現在まで、自身で作成・校正を手がけたプレスリリースは、2600本を超えた(2024年12月31日現在: 2618本)。東京経済大学大学院コミュニケーション学研究科修士課程修了(コミュニケーション学)。日本広報学会会員。PRSJ認定PRプランナー(登録番号00279)。著書に『アイビー・リー 世界初の広報・PR業務』(同友館)。

この記事の感想を
教えて下さい。
この記事の感想を教えて下さい。

このコラムを読んだ方におススメのコラム

    タイアップ

    マーケ資料ダウンロード