メディア7年目にして思うこと
まず、先日のアドタイ・デイズでパネルディスカッションにお越しいただいた方、ありがとうございました!つたないところだらけだったと思いますが、いい経験をさせていただきました。
貴重な場をいただいた宣伝会議の谷口さま、ディスカッションを盛り上げてくださった博報堂の木原さま、冷静な取り回しをしてくださった大広の梅田さまにもこの場を借りてお礼をさせていただきます。
さて、半年の連載も今回で最終回です。これまで読んでくださった方、Facebookなどでシェアいただいた方、初めての連載に四苦八苦する中で大変励みになりました。本当にありがとうございました。
今回は情報爆発の時代、「情報を扱う側の姿勢」について、アドタイ・デイズでお伝えしきれなかった点も含め、お話ししたいと思います。
メディアに7年あまり関わって思うのは、「情報なんてそんなに求められてない」ってことです。
「恋人とケンカしちゃってブルー」「今夜の献立は何にしよう」「今度の仕事は気が抜けないな」などなど、人は基本的に目の前のことで頭がいっぱいです。
僕らのようなメディアや広告は、そこにわざわざ割り込んでいって相手の大事な時間を奪うわけです。だからこそ「ああ、見てよかったな」と思えるものをきちんと届ける責任がある。それが欠けているコンテンツは、閲覧数も伸びませんし、ソーシャル上でシェアされることはありません。
情報を手にした瞬間だけじゃなく、「その人の生活が豊かになる」と言えるものを提供できなければ、情報サービスで食べていく資格はないと思います。
情報不信を引き起こしたのは誰か
いま、情報への不信感が日に日に高まっているように思えます。特にメディアが発信する情報への不信感は異常に感じる時すらある。
ただ、これは僕らメディア側が招いてしまったことなのかなと思います。極端に偏った報道、過剰な釣り記事、ウソのあるステマやペニオク問題などなど、目先の利益を追求するあまり、情報の受け手に対して不誠実な態度で作られたものがあまりに多い。こんなことが長く続くはずはありえません。
WEBはウソが嫌いです。TwitterやFacebookなど、数千万人が利用するサービスでは、良い情報も悪い情報もまたたく間に拡散されます。情報の質が常に監視されているようなもので、「適当な仕事」「不誠実な仕事」はすぐに見抜かれ、あっという間に信頼は失墜する。そのことをメディア側にいる人間は肝に銘じたほうがいいと強く思います。
Not Information, But Story
もうひとつお伝えしたいことがあります。20代の青春を費やした「R25式モバイル」の閉鎖が決まった日のことです。
山手線の車両に設置されたモニターに流れる映像に目をやると、ある占いが流れていました。いまもはっきりと内容を覚えていますが、そこにはこうありました。
「牡牛座のあなたの今週はグチが多くなりそう。グチは他人をイヤな気持ちにさせるから言わないようにね☆」
僕は無性に腹がたちました。「わかってるよ、そんな正論。でも今日、青春をかけたメディアがなくなったんだよ、人をイヤな気持ちにさせるのはわかってても、グチを言いたくなる気分なんだよ!」と、占いに対して本気で怒ってしまいました。いま考えるとかなり大人気ないですが(笑)
ただそこで、はたと思います。「物語はこういう時のために必要なんだな」と。
例えば恋愛映画は、ひと言で言ってしまえば「愛って素晴らしいよね」ってことです。正論ではありますが、それだけで心に響くものには当然なりません。2時間なら2時間分、いろんな紆余曲折がありながら到達する「愛の素晴らしさ」だからこそ、心に響くわけです。
情報を届ける側は、受け手を幸せにするための「物語性」を意識することが大事だと思います。
「ユニークなレストランまとめ」ではなく、「凹んだ友人を気分転換させるレストランまとめ」の方が何かの時のために知っておきたくなるし、「夫婦生活を描いた映画まとめ」より「夫婦もいいもんだなって思える大人の恋愛映画」の方が見てほっこりできそうな気がする。
もちろん、タイトルだけで内容が伴わないものは問題外ですが、受け手のビフォーアフターを想像しながら、情報と人を「物語」でつないであげなければ、わざわざ僕らが介在する意味がないと思うのです。
シクミの持ち腐れになるな
誰もが情報発信できる時代となりましたが、新しい技術やツールばかりに注目する「シクミ偏重主義」に怖さを感じています。
広告で言えば、ソーシャルメディアを始めたからってエンゲージメントが高まるわけではないし、プレスリリースを書けばニュース記事になるわけではありません。素晴らしいナカミを乗せなければ素晴らしいシクミも機能しない。衆人監視のこの時代、ナカミがないものはすぐ見抜かれますから。
最終回はやたらと「熱い話」をつらつらと書いてしまいましたが、結局のところは作り手の想いが大事だと思っています。もし、このコラムを読んでくださっているあなたが「情報発信者」となるとき、「こんなことを書いてる人がいたなあ」と思い出していただければ幸いです。
これまでおつきあいいただき、本当にありがとうございました。
※連載「100万人のメディアを潰した男、キュレーションを語る。」は今回で終了です。ご愛読ありがとうございました。
桜川和樹「100万人のメディアを潰した男、キュレーションを語る。」バックナンバー
- 第11回 ウソ、大げさ、まぎらわしい?キュレーションメディアが抱える課題(3/8)
- 第10回 ウケる広告のつくり方。(2/22)
- 第9回 元記事の24倍もRT…「まとめ」がシェアされやすいワケ(2/8)
- 第8回 編集の民主化の夜明け(後編)(1/25)
- 第7回 編集の民主化の夜明け(前編)(1/11)
- 第6回 R25式モバイルの失敗で学んだ「編集部」の限界(12/14)
- 第5回 複雑化した社会に追いついていないメディアの課題―村社会時代からソーシャル時代までを振り返る(11/30)
- 第4回 「情報の受け手」はテクノロジーに夢を見るか?(11/16)