なぜパリからはじめたのか?

階級社会だからこそ受け入れられる文化

MIWAはパリでできたブランドであり会員制俱楽部です。月曜日から金曜日までは会員限定で儀式を、土曜日は一般に公開して入会のご案内と日本の伝産品の販売を行っています。MIWAをなぜパリに?とよく聞かれるのですが、それには2つの理由があります。

一つ目は、フランスはいまだに階級社会であるということ。日本にいたときからこのことは聞いていたのですが、住み始めて実感に変わってきました。単純な人種差別ではなく、教養によるクラス意識がとても大きい。たとえば、フランス語は話す階級によって言葉が違うと言われているぐらいで、解る人は10分話せばその人がどの階級の出身か、またどれくらいの教養があるかが解るといいます。

いかに物事を知っているか、そしていかに考えられるかがとても重要で、その程度によってクラスが分かれている。なので、彼らにとって日本の文化、とりわけ折形のような階級社会の中で洗練されてきた文化は、教養として受け入れられるのではないかと思いました。そして、知的レベルの階級社会こそが、新しい価値を生み出すきっかけになっていると感じたのです。

アートやファッションは、この階級社会に対するカウンターカルチャーであり、いままでの価値観とは別の価値観によって序列を付けていく別の階級を作っていくことです。つまり、パリには知的階級社会があるからこそ、別の価値に基づいた階級を作っていくシステムがあるのです。なので、今までとは全く違った価値を提供するMIWAを受け入れてくれる土壌が有るのではないか?と思いました。

ポップカルチャーでなくとも日本への関心は作れる

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「ジャパンエキスポ」来場者数
© 2009-2012 SEFA EVENT - All Rights Reserved / Illustrations © Aurore - SEFA EVENT

もう一つは、パリの日本への関心はとても強いということ。パリに移り住む前5年間は、毎年「Paris Photo」(世界最大の写真のアートフェア)や「Japan Expo」(マンガ、アニメの見本市)を見に渡仏していました。その中で日本人写真家のアートとしての受け入れられ方、そしてオタクカルチャーの受容のされ方の両面からみて、この5年でその理解はどんどん深まってきていると感じました。

「Paris Photo」では2008年の日本特集で、多くの日本の作家の作品が紹介されていました。ただ、決定的な実感に変わったのは、11年にアドバイザーとして関わった「文化庁メディア芸術祭」ドルトムント展でした。

この展覧会のオープニングのイベントとして、初音ミクとももいろクローバーZのコラボレーションライブを企画しました。ドルトムントはとても小さい町ながら、ヨーロッパ中のファンがこのライブにきたんですね。そして、あまりにも日本のオタクと同じ反応で、また取材にきたプレスも日本のオタクメディアと同じであることに驚いたのです。時間と場所の誤差が生まれていない文化理解がそこにあった。

ミクやももクロはニコニコ動画やYoutubeによって世界に時差無く伝わって行くためこういう現象が起きているのだと思うのですが、フジヤマ、ゲイシャ的「誤解」とは全く逆にある、完全な理解と共有がありました。

逆にいうと、そのときミクやももクロを知らない日本人ももちろんいて、この人たちはミクやももクロをフジヤマゲイシャ的に見ているように思ったのです。解らないものだから、奇異な物として、つまり自分とは違う世界のものとして認識する。情報や物流が高度に速くなった今、国家間での文化理解の誤差が出るのではなく、共通のテーマを持つコミュニティが世界に広がっていて、時差なく地域差なく形成されていくと実感したのです。そして、ポップカルチャー以外のものでもこのコミュニティは作れるのではないか?と思い始めました。

実際MIWAに足を運ぶ人は、何度も日本に来ている人たちがほとんどです。彼らの日本の理解は、私たちと同じかそれ以上で、一流の旅館に泊まったり、料亭にいったことがある人たちです。彼らはいまパリにある日本のラーメンや回転寿し的な大衆文化では満足していません。いままで彼らのための日本の「真」のクラスを輸出できていなかったのです。フランスの三ツ星レストランは東京にあるのに、東京の三ツ星レストランがパリにないということが物語っています。なので、MIWAはこの「真」に接することができる場所としてオープンしました。

伊勢貞丈「包結記」

18世紀に書かれた伊勢貞丈「包結記」。折形について記されている。

MIWAにくる会員やお客様は、王侯貴族や企業のトップで彼らは日本の「真」の文化を「理性的」に理解したいと思っています。彼らの知的好奇心を満足させるためには、言葉によって歴史や背景を体系的に説明することこそ重要なのです。そのためには歴史を掘り下げ、コンテクスト化することこそ、最も重要な作業であり、これこそが売り物になります。

日本にはこの掘り下げられる文化的コンテクストは莫大にある。でもそれを世界に説明できるほどのコンテクストにしていないのです。どんな歴史に紐づいているか、どんな逸話があるのか?こそブランドであり、モノのクオリティがブランドを作るのではない。MIWAはその実証実験の場であり、モノ作りをしないブランドづくりを試みています。


【佐藤武司「パリ発 世界に通じる日本ブランドのつくり方」バックナンバー】

佐藤 武司(Rightning Paris SAS PDG/MIWAブランドディレクター)
佐藤 武司(Rightning Paris SAS PDG/MIWAブランドディレクター)

1973年、愛知県名古屋市生まれ。三重県桑名市育ち。慶応義塾大学大学院・文学研究科・美学美術史学専攻アート・マネジメント分野修士課程修了。
ビクターエンタテインメント株式会社にてビジュアルプロデュースを経験後、デザイン、映像制作会社として株式会社ライトニングを設立。株式会社ライトパブリシテイと資本提携し、CM等の広告制作を開始。iF design award、reddot design award、New York ADC賞GOLD、GOOD DESIGN賞を受賞。その後、業務を商品企画、CSRにも拡大し、世界初木製ケータイ「TOUCH WOOD SH-08C」を企画する。311を経験後、2011年10月Rightning Parisを設立。経済効率優先の物質文明の先にある生き方、社会のあり方を、美学的アプローチから提案するコンサルティング、プロデュースを行う。
2012年4月よりパリに移住し、700年の伝統のある「折形」を用いたブランド「MIWA」 Pavillon de la cérémonie du cadeau(贈物の儀式を行う特別の場所)を立ち上げる。歴史を紐解き、いままでとは違った視点からコンテクスト化することによって、新たな価値を生み出して行くプロデューサー。

佐藤 武司(Rightning Paris SAS PDG/MIWAブランドディレクター)

1973年、愛知県名古屋市生まれ。三重県桑名市育ち。慶応義塾大学大学院・文学研究科・美学美術史学専攻アート・マネジメント分野修士課程修了。
ビクターエンタテインメント株式会社にてビジュアルプロデュースを経験後、デザイン、映像制作会社として株式会社ライトニングを設立。株式会社ライトパブリシテイと資本提携し、CM等の広告制作を開始。iF design award、reddot design award、New York ADC賞GOLD、GOOD DESIGN賞を受賞。その後、業務を商品企画、CSRにも拡大し、世界初木製ケータイ「TOUCH WOOD SH-08C」を企画する。311を経験後、2011年10月Rightning Parisを設立。経済効率優先の物質文明の先にある生き方、社会のあり方を、美学的アプローチから提案するコンサルティング、プロデュースを行う。
2012年4月よりパリに移住し、700年の伝統のある「折形」を用いたブランド「MIWA」 Pavillon de la cérémonie du cadeau(贈物の儀式を行う特別の場所)を立ち上げる。歴史を紐解き、いままでとは違った視点からコンテクスト化することによって、新たな価値を生み出して行くプロデューサー。

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