“主人公不在”のドラマは続く
1960年代、やたら三流役者が多く、ひたすらガンファイトでバタバタと撃たれ、出演者が次々に倒れていく、主人公不在のイタリア西部劇は、本格的なアメリカハリウッド西部劇が登場する前に、「スパゲティウエスタン(Spaghetti Western)」と呼ばれていた。
スパゲッティウエスタンが日本に入ってくると、映画評論家の淀川長治氏が、内容の中身がないことを暗喩して「マカロニウエスタン」と改名、和製英語となった。
現在、原発問題をひも解いてみると、政府スポークスマンとして枝野幸男官房長官、経済産業省原子力安全・保安院(原子力発電事業を監督する所管行政)、内閣府原子力安全委員会(国の原子力安全行政の遂行を目的とする専門家委員会)、東京電力、IAEA(国際原子力機関)が個々に記者会見を行い、それぞれの意見を述べている。
さらに、米国エネルギー省やドイツ政府機関などが、独自に日本から入手したデータに基づき各種の分析情報を公開しているために、海外メディアを通じて、初めて知らされることも多い。
毎回、色々なキャストであるスポークスマンがマスコミの厳しい攻撃に簡単に撃たれ、バタバタ倒れていく様は、残念ながら当時のスパゲティウエスタンに似ている。ストーリー性もなく、どこへ観客を導いていくのかも不明である。
今の日本の長いストーリーの果てには、国民の誰もが「ああ、そういうことだったのか?」と納得できる(reasonable)筋道は存在するのだろうか?
わかりやすさが最重要 国を中心に道筋示せ
これまでの日本の対応が発生事態に対する対症療法であったために、国民の目には場当たり的な対処と見られているふしもある。今後、発生するあらゆる事態に備えて、各種の事態を発生防止する為の予防策(Preventive Action)と発生した場合の損害軽減策(Corrective Action)をしっかりと計画し、国民に開示していくことが重要となるだろう。
その際、主人公は国であり、国は極力、説明責任においてグレーゾーンをつくらず、明確な説明、指示を行うことが混乱を防ぐ基本となる。「未曾有の事態」「戦後初めての危機」など、色々な枕言葉が繰り返されているが、海外では「crisis(予想を超えた事態)」は当然に発生しうるものと考えており、それを経験することは「initiation(通過儀礼)」であると割り切る。
ブルース・ウィリスではないが、Last Man Standing(最後に立っている者)はこの国で誰なのかを最後まで目を離さず見ておきたい。
白井邦芳「CSR視点で広報を考える」バックナンバー
- 第21回 「『今そこにある危機』を再認識する」(4/6)
- 第20回 「Emergency Plan(緊急対応計画)を持たない日本の孤立化」(3/31)
- 第19回 「危機管理の原則はサバイバル 最終的には自身で判断を」(3/23)
- 第18回 「災害時の企業広報と経営トップの心構え」(3/14)
- 第17回 「米国で見た災害時の企業のCSR活動」(3/10)
- 第16回 「ニュージーランド地震に学ぶ」(3/3)
- 第15回 「犯人に告ぐ! 愉快犯に対する伝説の緊急告知」(2/24)
- 第14回 「世界の政治的均衡に革新的変化をもたらすSNS」(2/17)