事業者、自治体、国の責任を明確に
東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴い、数兆円とも言われる巨額の損害賠償をめぐって、その解決策に政府は躍起となっている。この解決策は、言葉の上で簡単に「第一義的責任は東京電力に」との一言で済まされる問題なのだろうか。
新聞や報道においてよく見かける「原子力災害対策特別措置法」については、なんとなくその存在を認識しつつあるが、事業者の損害賠償責任を定める「原子力損害の賠償に関する法律」(昭和36年6月17日法律147号)についてどれだけの国民が認識しているのだろうか?
この法律を見てみると、第三条(無過失責任、責任の集中等)に原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る事業者がその賠償の責任を負うとしているが、一方で、その損害が異常に巨大な天変地異又は社会的動乱によって生じた場合は責任を逃れるとしている。この「異常に巨大な天変地異」とは今回の地震ではなかったのか?
原子炉運営は許諾認可事業であり、行政だけにとどまらず外部監査などを経て、安全性についての透明性を確保してきたはずである。IAEA(国際原子力機関)の報告からも東京電力の安全対策が著しく劣っていたわけではない、とし、IAEAが求める基準値を上回っていたとしている。
さらに言えば、津波対策についても、設置許可基準値+3.122m、想定される津波の最高水位(土木学会)+5.4m~5.7mに対して、発電所の敷地レベルは基準海水面から10mの高さに設置されていた。
一方で、内閣府の原子力安全委員会が1990年に定めた発電用軽水炉の安全設計審査指針の解説に基づき、業界全体が「長時間の全電源喪失について考慮する必要なし」の想定で運営してきた背景がある。
このような状況において、東京電力に全く責任なしとは言うことはできないが、全ての問題に関して第一義的責任が東京電力にあると本当に言えるかについては懸念が生じる。日本が風力、水力だけでなかなか電気をまかなえない事情がある中、原子力と向き合っていかなければならない現実を見据えて、事業者だけでなく、自治体や国の責任を適切に分担しながら、今回の問題がどこにあったのかを正確に監視していく必要があると考えている。
そして、重要なことは、責任論に固執し、議論による議論を重ねて被害者を置き去りにするのではなく、政治家が参画して大きな枠組みで被害者を一刻も早く救済すること、原因を総括して各自の再発防止に対する責任を果たすことを期待したい。
白井邦芳「CSR視点で広報を考える」バックナンバー
- 第22回 「『スパゲティウエスタン』化する原発問題」(4/14)
- 第21回 「『今そこにある危機』を再認識する」(4/6)
- 第20回 「Emergency Plan(緊急対応計画)を持たない日本の孤立化」(3/31)
- 第19回 「危機管理の原則はサバイバル 最終的には自身で判断を」(3/23)
- 第18回 「災害時の企業広報と経営トップの心構え」(3/14)
- 第17回 「米国で見た災害時の企業のCSR活動」(3/10)
- 第16回 「ニュージーランド地震に学ぶ」(3/3)
- 第15回 「犯人に告ぐ! 愉快犯に対する伝説の緊急告知」(2/24)