不祥事対応のマンネリ化で危機感度はますます鈍化
企業の不祥事や事件が、新聞の社会面に掲載されない日はないのではないかと思われるほど、今日の企業社会ではさまざまな“異常事態”が毎日のように起こっている。こんなことが会社の中で発生するものかと、首をかしげながら、驚きとともに記事を読んでおられる読者の方も多いのではないだろうか。
しかし、事実は小説より奇なり、である。実際の事例を知る立場にある筆者は、考えられないミスや隠蔽、不作為の連続により、企業が突然死するような事態をこの目で何度も目撃してきた。
企業は、それこそあらゆるリスクにさらされており、厄介なことに一度想定外の最初の危機が発生すると、同時多発的に他の危機が連鎖して、制御不能に陥り、見るも無惨な結果に至ることがある。世間的には“優良”と思われているような会社であっても、会社である限りは危機といつも隣り合わせであると言わざるを得ない。
リスクの予防はもちろん大事だ。これは各専門医による病巣の発見、経過観察、管理につながる健康診断に酷似している。だが、リスクというのは健康診断で予防できるような内科的疾患だけではない。自分に落ち度がなくても交通事故や災害に巻き込まれることがあるように、外部から突然襲いかかってくることもある。
そして、現実の危機が発生すると、次々に命に関わるような緊急事態が連続して起こり、一瞬のミスも許されない手術の技術とオペ担当の医師団・スタッフの一糸乱れぬチームワークで対処する救命救急センターさながらの組織的体制によって、着実に対処していくことが求められる。
しかも、不祥事や事件は、リスク管理部、法務部、コンプライアンス部といった専門部署だけで解決できる問題でないことも、事態を厄介なものにする理由だ。事件の複雑さや態様によっては、取締役会、総務部、人事部、工場・現場、広報部、経営企画部といった、ありとあらゆる組織・部署に関わり、またそうした関係者による認知の遅れや、適切な部署への報告、連絡、相談の懈怠といったミスによって、事態が大きく変化してしまうケースがいかに多いことか。
ひとつひとつの判断ミスや不適切な行動は、後から振り返ってみれば「なぜそんなことをしてしまったのか?」と思うようなことかもしれない。しかし、その時点で内部にいる者からすると、正しい判断をしている余裕はまるでない。「危機」はもともと予見されていないか、予見を超えたところで発生するものなので、情報不足が常につきまとい、人を必要以上に不安にさせる。そうした場合、人の判断は偏りがちで、自分の意見に合致する補強的情報を過大に評価し、反証情報を過小評価してしまう。さらに、限られた情報を基に、迅速な判断を求められると、視野狭窄的となり、独断的結論に帰着させる傾向が強まる。かくして「危機」は人の心の弱い隙間に入り込み、人の心を弄び、ぐらつかせる。
あの時こうしておけばよかった、と常に後悔するのが「危機」というものだ。振り返った時にはもう手遅れである。「危機」は始まったばかりのタイミングが最もコントロールしやすく、ある程度事実関係が顕在化したころには手遅れになりかけている。潜在的な危機的状況の段階ですでに「危機」は現実のものであり、これに気づかない者はすべてを失うことになる。