今年1年を振り返ってみると、とにもかくにも「倍返し」というキーワードに打ちのめされた。
堺雅人の演じる銀行マンや弁護士が発する切れ味するどい台詞はどれも魅力的だが、「やられたら倍返し」(半沢直樹:TBS)や「やられなくても倍返し」(リーガル・ハイ第2シーズン:フジテレビ)は、普段思ったことをなかなか言えないビジネスマンや主婦には小気味よく聞こえていたに違いない。
この「倍返し」は、クレームの世界では比較的一般的である。百貨店などを通じて販売する贈答品が典型的な事例だが、この種の商品には送る側と受け取る側が存在する。商品に事故や不具合が生じれば、送る側と受け取る側の両者にご迷惑をかけることになり、問題を起こした原因者には、文字通り、問答無用の「倍返し」のルールが適用されることも少なくない。
ところが、今年は、違う意味での「倍返し」が一人歩きした。苦情者は、とにもかくにも「倍返し」、「倍返し」が基本でしょ!、ひとまず「倍返し」と言ってみました、と「倍返し」旋風は、苦情者の世界でも大ブームとなる。
そもそも、クレーム対応では、責任の分担割合や示談の金額について、苦情者と対応側との思惑の違いで、トラブルが大きくなることが多い。そんな中、世間の時流に乗って、「倍返し」は苦情者の多数派となり、初動の交渉から、企業は倍返し攻撃を受けることになった。ある苦情担当者は、お客様の商品のお取り扱いにも問題があり、責任の分担のお話をさせて頂こうと思ったら、いきなり「倍返し」宣言されて、話が先に進まなくなった、と思わぬ「倍返し」旋風に驚きを隠さなかった。
「倍返し」宣言は、この種のクレーム対応に慣れていない苦情担当者をひるませるには十分である。理解を超えた問答無用の「倍返し」は、水戸黄門の印籠さえ彷彿させる効果覿面の最終兵器のようなものだ。とはいえ、「それでは倍お支払いします」としていては、クレーム対応は成り立たない。結局、時間をかけて誠意を示し、お客様にご理解頂く努力の積み重ねをするしかないが、この「倍返し」宣言にはさらに問題な付録がついていた。
「倍返し」というだけに、「私は一切悪くないのだから、あなたの方が折れるまで私はあなたの話を聴きません」という暗黙のメッセージが隠されている。クレーム対応で、相手が耳をふさいでしまったら、対応の術がない。この結果、電話の会話の延長で話を進展させるのではなく、何度も何度も電話をかけて、誠意を示した後にやっと話ができる態勢に持ち込むという果てしない持久戦が展開される。
すでに、「倍返し」はだいぶブームとしては収まってきたようだが、クレーム対応の世界では、今まさに「旬」の勢いで、現在も苦情対応の現場においてはホットな話題となっている。