「情報がどう受け止められるか」想像する感受性が炎上を防ぐ

栁下恭平(書籍校閲専門 鷗来堂代表)

「校閲の役割」

僕は校閲者です。文章のまちがいを見つけることを専門としています。
出版・印刷の分野では聞き慣れた校閲という仕事ですが、それ以外の業種の皆さんにはあまり知られていませんね。このことは、歓迎すべきことではないのですが、とても興味深い現象だと思います。

僕たちが生きているこの時代は、誰もが、とても少ないコストで、情報(文章)を発信することができるようになりました。
大げさに表現すれば、有史以来、文字の流通量は最大になっているのです。
主にウェブやコンピューターがそれを可能にし、メール・SNS・プレゼンテーションの資料・会議の議事録、などなど、内部・外部を問わない公開情報の膨大なトラフィックが存在するようになりました。

発信が手軽になれば、書くことの量産が必要になります。
そして、そのためか、世界は文字で溢れています。

さて、僕には、情報の正確性を検証するテクニックや、公開された情報が誰にどのように受け止められるかを想像する感受性についてが、書くことに比べると軽視されているように思えるのです。

公開情報という天秤の片皿に「書くこと」を載せれば、残った受け皿には「読むこと」が載るでしょう。これが文字通りアンバランス。読むことは、書くことと同様に技術を必要とするものなのに。

たとえば「炎上」という現象の一因はこのようなことにあるのだ、と僕は考えます。
不幸な事例を減らすためにも、校閲という技術が出版・印刷以外の世界に伝わっていけばうれしいです。

「どのように読むのか」

先ほど、校閲というものは、情報(文章)の「まちがい」を見つけるのが仕事、という旨を述べました。

ひとくちにまちがいといっても、いろいろな種類があります。
たとえば、単純な文字のまちがい。
あるいは、内容のまちがい。
言葉としてはまちがいではなくて、意味もあっているけれど、表記の統一という観点からはまちがいと判断されることだってあるでしょう(「ソファ」と「ソファー」が混在しているので、どちらかにソロエルとか)。
差別語や不快表現のように、時代を経て意味や受け手の意識が変わっていくものもありますね。
政治的に正しいのか、宗教的に正しいのか。あるいはそういうことも、文章のスタンスによって気をつけねばなりませんし、読み手によって受け止めかたが変わります。
社名、商品名、人名、などの固有名詞を調べたり、肩書が正しいかなどの事実確認も必要な場合があります。
あれや、これや、たくさんの視点に立って判断します。

すべてのまちがいを拾うことが理想です。しかし、技術的な問題・時間的な問題があるので、できない場合もあるでしょう。
ですから、ライターとして編集者として、様々な立場や読み方がある中で、なにを拾わなければならないのか優先順位をつけて読んでいく必要があるのです。自分が書いた文章でも、そうでなくてもです。

短い時間ですが、「<1日集中>校正・校閲力養成講座」の中では、そのような方法論を、そして関連する技術論をお伝えしていきたいと考えています。

知識と技術と心構え。どれもとても大切なものだと思いますので。

コラム執筆者の栁下氏が講師を務める校正・校閲力養成講座の詳細はこちら

栁下 恭平(鷗来堂 代表)
1976年生まれ。2005年より出版に携わり、2006年に書籍の校正・校閲を専門とする「鷗来堂」を設立。若い校正者を育てていくことや、装幀・組版・校閲・電子書籍化などの制作フローの効率化など、さまざまな角度から出版の未来を考える。

宣伝会議 編集会議編集部
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